2012年05月09日

お久しぶりです

更新が後手になってました。

2月末から一気にいろんなことが堰を切った様に流れ出し・・・・。
酸欠金魚のように来るのを捌くのがやっとでした。

毎年恒例の高知城の「花回廊」での新作バージョンが冗談みたいな短い納期でそれをこなしてるうちに・・・
いつの間にか3月が終わり。
4月に入って更に更年期の私には過酷な態勢です。

4年、、、いや話しが持ち上がってからは5年目の中山間の取り組みの「若山楮」に新たな展開。
冗談だろう、冗談でもと藁にもすがる思いと担当の凄い頑張りが功を成して・・・
あり得ないのですが「採択されました。鼻血出そうです」と本人も言うように、失速するどころかスパイラルは上昇してしまった若山楮です。
ずっと思うのですが・・・・
まあ、やりたいし、これはええよとは思っていたし、ろくなことに税金使うならやらせてとも思ってたし。
だけど・・・・
和紙の世界は衰退路線から未だリベンジできてない中・・・
昨年の震災以降、揺るぎなかった自分でさえも「紙漉」とか言ってる場合ではないのではないかと迷走したのです。
まずは食料、次に経済。
平和な時だからこそ紙漉なんてへらへら言えてたのではないか?と・・・ちょっと10ヶ月ほどトチ狂い迷走しました。

おかげで身体壊しました。
更年期とダブルで生きてる意味すら判らなくなりました。
目が曇るとはよくぞ言ったもんです。全く視界が曇ってしまいました。

腰から来る「痛み」と一緒にやってきた「鼻血出そうな話し」とか
いきなりの大きな仕事とかそういういろんなことが神業のように滑り滑って今やっと整った所です。

そんじょそこいらに勝手に生えまくってる楮というのがこの地域の特徴。
だけどその特徴を生かすやり方の真逆をこの4年。

それが今年から「もう最期のてこ入れ」的な態勢で始まった。
新しい、全く新しいメンバーです。
震災で避難してきた若い家族が入っています。
しかもこれが、こんな辺境の地に来たにも関わらず、和紙の世界での関わりを強く持っていた人。
4年一緒にやってきた私と地域の中では一番元気なおばちゃんという4人です。

持続可能なコミュニティー。自然エネルギー。自給自足。ありとあらゆるキーワードが全部てんこ盛り。
一発花火なイベントではなく、確実に根付き具現化していく予感。

和紙の原料栽培のブログなんですが・・・
ネタ満載になると思います。
楮のお世話をしながら、山菜、田んぼ、地引の魚、原発のこと、子供のこと、介護のこと、、、
漁港、山、川に暮らし、赤ちゃんから長老まで。

ネタ満載です。
「かみの木のせわにっき」http://blog.goo.ne.jp/wakayamakouzo/e/85fc3c376075063a10298771b4383f09/#comment-form
タグ:高知 和紙
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2012年04月05日

高知城「花回廊」

明日から始まります。
先日の凄まじい嵐でも高知城の桜は持ちこたえて、満月が中日の見事な采配の夜桜イベントです。
http://kochipark.jp/kochijyo/20120331/高知城花回廊が開催されます。.html

立ち上がった最初にお仕事を頂きました。
ハレハレ本舗にとっては、初の大仕事でした。
たまたま、どこかで見かけたうちの作品に目が止まり、とても嬉しそうにオーファーしてきてくださったことがつい昨日のことのようです。

ずっと変わらず量が少なくても必ずお声をかけて来て下さる。
普通なら、もっとこちらから積極的にいかねばならないのに、ハレハレはこの5年怒濤で一切の営業活動を停止していました。
そこへ昨年の震災です。
一昨年、紙ではない仕事を受けて考えた末、「うちは紙漉です。イベントの裏方ではありませぬ、申し訳ないですが紙以外はお断りします」
その時期に大事にしてくださった方が転職したりで、空洞になってた所へ震災。
本来ならこういうときこそ頑張るべきだった・・・・。

実際私が取った行動は・・・・
避難してくる友人、知人を受け入れながら・・彼等の葛藤を観て・・・
「紙漉とか言ってる場合ではないのではないか?」でした。アトピーが悪化する母子。
価値観の違いに直面する夫婦、経済のこと。
そうしてるうちに震災の大変さを老夫婦で乗り切った父が倒れました。
どんなに、心細かったかと思うと悔やんでも遅しでした。
そして今の老人や介護の問題もいきなりやってきて、今までのように好きだからと、のうのうと食えないような紙漉をやってることが
恥ずかしくなってしまったのです。
実際、経済的にも限界に来てました。
全ては自分が引き寄せてるわけで、一見するとあきらかに悪者に翻弄されてるようでも、やはり身から出た錆なのです。

早朝バイトに出ました。
もう、このやり方で細々と紙「も」やるしかないと腹くくりました。
それでも「紙」を辞めたつもりはなかったのですね。

毎年恒例の楮収穫作業。
朝4時には火を入れる、仕上がるまでは手抜きしない。
毎年と同じようにやったつもりでした。
今、思うとあの年末から年明け、どうやってバイトしながら回したのか・・・もう思い出せません(笑)

それでも言われちゃった・・・
「今の中嶋さんは紙漉とは言えないので」とね。

腰を痛めて、かなり限界に来てた頃、若山楮で大きな転換ドラマが生まれました。

バイト辞めるしか策はない。
どうなるか判らなくてもやはり紙の神様は諦めない。

ならば、抵抗するのは辞めようと思ったのです。
バイト先に辞めるわけを話したら凄いエールを下さった。
「紙で食えなくなったら何時でも戻ってこい!待ってるよ。でもあんたは此処にいるべきじゃない、残念だけど、寂しいけど、ここ、あんたが来てから上手く言えないけど何かが変わったんだよ、ありがとう」って。

はあ、これで朝の4時半からバタバタせんでも済むと思った翌日・・・

「花回廊です、もう時間ありません。紙頼みます」と・・・・。

ドラマだなあ。
「もう時間ないので、好きな紙でええですか?」
「任せます!」


遊ばせていただきました。
竹や木工の職人さんも恐ろしいタイトな日程でそれでも予定より数日早く完璧に届けてくれて「大丈夫か」とこちらを心配までしてくれた。
私自身も3つの〆切りをこなしながらも、紙だけに集中できました。


営業どころあ、音信不通になってるのに、最期の最期で「やはり」とオーファー賭けてくれた。


明日本番初日。
3年ぶりに現場入りします。

桜満開、満月、快晴です。


この5年の間の色々がもう思い出せません。
あるのは感謝だけです。
こうやって高知の西の端っこで細々と馬鹿みたいに頑固にやりたいことやってる一人の人間がなんとか生きてるのは
もう、それはそれは多くの縁の中で愛憎ひきこもごもしながらも深い縁の中で
生かされてると言うこと以外の何物でも無いのでしょう。
明日は頑張って写真撮ってきますね。
posted by ハレハレ本舗 at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | イベント

2012年03月16日

土佐の愛

高知NHKといの町で作ったドラマ「かげろうの羽」見ました。四国4県先駆け。
25日に全国放送。1時間です。正午から。

正直期待してへんかった・・・
紙漉の家で起こるドラマなら、添え物なんだろうって紙漉は。ってね。

ようここまで絞り込んだねえ、紙漉の所作。少なくとも土佐ならでは。

そして・・・ここからはもう完全に個人的な話しになります。

ドラマの主軸が、仁淀川の沈下橋。(父と娘とか。あるだろうが、私的には超ローカルかもしれんが仁淀川やと思った)
もう完全に自分のドラマと、受け入れてくれた親方ご夫婦とのやり取りがオーバーラップしてしまい
涙、涙で・・・

私が18年前に「ほんまに来たで、この子」と受け入れて貰った紙漉の家はこのドラマよりも下流でしたが、当時まだ沈下橋しかありませんでした。
高知へ来る為に免許を取っていきなり来たので、練習に親方の奥さんが乗り込んでとの毎日でした。
休みの日。
「さーてドライブしよか。今日は沈下橋の渡り方じゃで」と。
今思えばばあちゃん楽しんでいたなあ(笑)
ガードレールというものが無い。しかも一台しか通れない幅なのだ沈下橋。うまく漉けなくて仁淀の沈下橋の下で鮎が飛ぶのをぼえーっと眺めた夕方。早朝目がさえて散歩したのも仁淀川。ちゃり漕いで伊野の大黒様まで顔かけに走ったのも仁淀。今はもうその沈下橋は無い。無くなる前は大雨でも渡るアホが居たのか、雨の日は入り口に鎖がかかった・・・かける人大変やったろうなあ(笑)
で、沈下橋。岸から見ると楽勝じゃんと思うのですが・・・・真ん中で怖くなるのです。
下の流れが目にはいると、もうダメ・・・。落ちたらいかんと思うほど固まる・・・(未だに四万十の友人とこへ行く沈下橋は怖い)
「一気にいかんかあ!、真ん中ですくんでどないする!」と横で激飛ばすばあちゃん。

ある日、大雨の夜、どうしても高知までいかなあかん用事がありました。
ばあちゃん、仕事のしまいをつけてるとき・・・「今日高知へ行くがな?沈下橋渡るかよ?まあ聞け」と。

「沈下橋言うのはなあ、岸から向こうを見ると平らに見えるがよ。だけどコンクリートの橋じゃでな、真ん中は低い。川が増水してると
両端は川の上。真ん中は川の中じゃで、行けると思うて、何人もが真ん中で流されたでよ、今日はやめとけ!」って。。。
「母親と子供が乗った車が流されたこともあったでよ、そりゃー可愛そうやった」

以来、沈下橋の両端見ても怖い私です。
そやかて言うて、若葉マークの私の特訓のある日。
台風でえらい日が日曜日でした。漉きでくたくたになってる私にえらい早朝に呼び出し。
仕事か!と焦って行けば・・・「ドライブ行くで!」とばあちゃんは用意周到。

仁淀川に行き、濁流で目の前を大木がゴンゴン流れていくのを見て「凄いねえ、自然の力にはまっこと人間なんかおろかなもんよ」とのたまう。
次いで宇佐という近くの海へ行き、白波の経つ防波堤をゴンゴン行く。
「土佐人はアホでね、こういうの見に来て波にさらわれて毎年死ぬのが居るじゃ」と・・・。ばあちゃん、やばいよ、その先。
「まっこと自然の力とは凄いもんじゃね」と吸い寄せられていくではないか・・・。

ひとしきり、やりたいだけやったら・・・ここの名物のおこわでも食うかとご馳走になってばあちゃんを返しに行って・・・
娘さんにこっぴどく怒られるばあちゃんと「次からうまいこと言われても乗せないように」と釘を刺された私。
2人してごめんなさいと正座して謝った。


だから・・・このドラマが仁淀川の沈下橋のことにストーリーの中心を持って行ってることが、たまらんかった。
一見すると関係ない話しのようで・・・
この流域の紙漉は皆、仁淀からの水。
川にまつわる話しは関係おおありなのである。
他にも、川に晒した楮。夜中に大雨になって(高知の雨の降り方はいきなり来る。しかも蛇口を最大にして、いきなり止まる。高知の雨は下から降るという喩えもある)楮が流されると慌てて楮を拾いに行って流されて死んだ話しも聞かされている。
今、かなり雨脚が強い。夕方よりによって楮を下の川に浸けてんだよねえ、私。。。。
雨脚の強さが気になってしゃーない。まあこれでもかと石は載せてきたが。しかも下の川は流されても風邪は引いても死ぬ流れや深さではない。た・だ・し・もう泣きながら相当呑んでるので・・・。やめとこう。流されても海の手前で捕まるだろう・・多分。

このドラマ、紙漉の・・土佐ならではの紙漉の・・仁淀流域の紙漉のそのまんま。だと感じる。
たった1時間である。それでここまでに絞り込んでるって凄い。
もっとCM的にも作れたとも思うに、それをやらなかった。嬉しい限りである。


そして・・・紙漉の父さんが・・・石橋蓮司なのである。
20代の頃アングラ芝居にはまり込んでたとき大好きやった俳優が・・・紙漉いてる・・・
想像だにしなかったシチュエーション。
しかも土佐の男の気質をうまいことやってるではないか・・・。寡黙。台詞ほとんどない。かたや親戚のおばちゃん・・・土佐のおばちゃんそのものや。
お見合いの席でこじゃんと着飾ってる、とうの2人なんかそっちのけ。
親方の婆ちゃんも私を組合入りさせるときの衣装は凄かった。
私はかろうじてのよそ行き。
ばあちゃんは美容院へ行って紫のメッシュ染めしてきた。しかも指にはオパールの指輪。会議よりそのオパールが気になって仕方なかったことだけ覚えてる。しかも鬼龍院花子じゃないが・・・私の紹介が済んで「次の議題」となったら・・ばあちゃん「この子が挨拶したんやからあんたらも自己紹介せんかい」と・・・びびった・・その時もオパールの指輪が光ってた。
そんなことを思い出させるこまかなドラマのシチュエーション。
ばあちゃん生きてたら大笑いして「そうじゃそうじゃ」と親方をからかってただろう図が見えるわな、もう。

さて、ドラマは朝ご飯食べて、紙漉いて、夜は晩酌して、薪の風呂に入ってという・・・
親方もそうやったし、結構このパターンなんよろうなあ、私も同じ。

娘が選別してるやり方も同じ。日の光が入るところで横に流す。時々日の光にかざす。これは電光では絶対出来ないし、無理。電光で通過しても日の光でボツになる。親方の所でではとにかく自然光であった。

親方のばあちゃんが紙の選別してるとき、ぼそっと言うた。
「お前は愛されるように生まれついとるかしらん、皆が可愛がるがよ、たまには家にも呑みに来い」と。
後先かまわず、引き受けちゃろうと言う言葉に神奈川から藁をもすがる想いで来た私である。
知人一人として居ない土地に来た私をこんな言葉で平気で扱うのである。都会暮らしで両親にさえも言われたことがなかった言葉である。
涙がぼとぼと落ちて泣きよったら___「こら!!紙濡らすな!」と(笑)
土佐の愛である。

昨日今日、この集落に来て18年目の近所の手伝い。
「この子偉いでねえ、紙漉いて小学校で卒業証書やってくれてるんよ、米も作ってるンよ」と
来た当初、ヨソ者の溜まり場で夜中まで太鼓叩いたりヒッピーもどきが出入りするしで相当迷惑かけたのに
「近頃は静かじゃね?もちつきやらんのかえ?」と・・・
土佐の愛なんじゃなあと感慨深しと思ってた矢先に今日のこのドラマ。(ちなみに今日一緒に仕事したみんなに楮と一緒に蒸かした芋の美味さを力説したらちゃんとドラマでもやっていた)

しかも父と娘なのである。
つい先日脳梗塞で入院してる父を見舞った。
言葉がうまく出ない父と難聴の私なので筆記での会話。
父が最初に書いたのは「仕事はどうだ?」と「新しいことは大丈夫か」だった。
「なんとかやってる。ほんとに沢山の人に助けられてる」と言うと
次に来たのが「母さんを頼む」であった・・・泣いてしまい、困ってることころへ看護婦さんが来て「あら〜なんか難しい話ししてる?」ってと・・・筆談見て、私に目でウインクして「大丈夫、ちゃんと伝わっていますよ」と。
その対応にまた泣いた。人って凄いなあってね。
だから、このドラマも父と娘なんだけど、ちゃんとそこに関わる人の気持ちも描かれていて・・・
紙漉の話しやから、私には判りすぎるくらい判るのかもしれんが(笑)

とにかく、泣いた、泣いた。共感と強情故の親不孝とそれでももう、ここまで来ると抗うことも無駄に思う諦めと。
そして、やっぱり紙漉こうって思ったよ。それも高知の紙においては辺境のここで。かつては原料の最高峰の産地で。
川をよごさない昔ながらのやり方で、地元の人に大事にされるやり方で。私も地元を大事に想うやり方で。
そんなに沢山稼がなくても「食うに困らん」生活はある。その延長で納得できる紙が作れたら、自分も皆も納得できる。
それがひいては生きてる間関わる範囲で淀みがなければ、すべて良し。澱むとそこにゴミが溜まり、果てには災害の引き金となるのが川。
人の営みを映すのが川である。
これは大江健三郎の小説にも出てくる。平家の落武者が愛媛の山奥で共同体で生活するに際して
川に人の痕跡を残さないという厳しい掟の話し。
これすなわち凄いエコロジーの究極。今のエコなんか比じゃない。
川下に上流の人の生活の痕跡を残さないことの凄さ。実話なので人はやる気になったらやれるのである。
しかもこの話しの集落は母方のルーツにかなり近い・・・。ご先祖様のお導き?生かされてるのはここらあたりから端を発してるかも。

川で作業するとき、そして家の工房はダイレクトに生活排水が川に行くので、この18年で下の川の様変わりに驚いてるので。
紙漉は川に寄り添う発想がないといかんねと思ってる。
しかも家は3キロ下流は海であり、そこでは友人達が波乗りして、漁師は魚を獲て、地元の人達は大潮ともなれば貝を採り、海草を採る。塩作りの友人達はこの海から塩を得てる。
勿論、子供達は川で泳ぎ、海で泳ぐ。
3キロは車で3分。増水してれば一瞬である。

そんなこんなの生活諸々をひっくるめて腹に収まるまでに20年近く。まだまだだ。
だから紙が上手になるということににはあと5回くらい紙漉に転生しないとあかん。
そやけど、今のやりかた貫いたらあとの4回の転生はぐっと楽じゃんと思ってる。
その位に構えた方が今生の在り方もぐっと楽かかあらん。

まあ難しく考えるより、ドラマ見て泣くことで初心を思い出して今をやり続けるしか、実際どんな方法があるというのか。
やることは今にしか与えられないのだよね。
過去や、未来に思うこと考えることはできたとしてもやることは「今」にしかあらへん。
posted by ハレハレ本舗 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年03月10日

本年度の作業完了

12月の刈り取りから始まって、蒸し剥ぎをして、へぐって、晒して・・・・。
どれだけ手をかけても自然の物であるが故に完璧、すなわち頭に描く完璧にには程遠いと思う連続した作業。
皆の気持ちが高揚してひとつになると天気さえも味方になる。
裏を返せば、ちょっとした緩み、誰かがやるじゃろーとか、チームワークにほころび出れば天気さえもそっぽ向く。
200%ちゃうん?というような前年度であった。
100年に一度と言われるような豊作の数年の後・・・・。
全ては人為的な引き寄せとしか思えない結果の今年。
最期の「選別」作業をしてきました。
そこには、大反省が多々。
確かに猛暑とか震災とか色々あり過ぎた年。
だけど・・・。

一言で言えば、あぐらかいてしまったなと。
モチベーションが急転落して失速してしまい、自分の事、家族の事でじたばたしてしまい、楮に集中できなかった事が全部結果として出てしまった。
大勢でやってることなので、リカバリーできるやろうと期待したが、そこまでのコミュニケーションは取れてなかった。
そういうこと含めて自分の中で大反省会の選別作業でした。


今朝、早朝バイトも辞めたのに4時に目が覚めて悶々。
寝れないから起き出して今日の作業のために書きだした。
IMGP0516.JPG

かなりの雨量の雨が降ってる。外の景色はけむってる。
部屋の中で墨の香りが低く沈殿していく。
春だなと感じる。
そうこうしてるうちに雨でもくっきりと明るさが入ってくるからやっぱり冬ではなく春になったんだと。
書いた札を持ってひとっ走り。
何はともあれ作った作物を出荷する体裁にする。


私は紙漉なので、体裁まで拘っていられない。中身がしっかりしていれば自分が作った原料だからどんどん使っていく。
だけど、原料を高いお金を出して使う立場なら、少しでも手間が省けるように。届いたとき「あーこれは丹精こもってる」という代物にしたいと思う。現に美しく整った原料からはけるという。
最期の最期まで神経を使い、「使っていただく」という気持ち。
紙漉を知らない人なら見落とすであろう、その後の作業でいかに気持ちよくできるかということについつい気持ちが入ってしまう。
自分がこれを買ってやるとしたら、「ここまで考えてくれてるのか、ありがとう」と言われる仕事にしたい。

その昔、目方でなんぼやった頃は束の中に石を入れて目方を誤魔化したなどという逸話もある。
そんなことを話しながら大所帯の中できっちり仕事する、私から見れば母と同じおばちゃんと一緒に今日一日。
彼女はとにかく丁寧で的確な仕事をする。
それは田んぼ、畑、山の仕事を旦那さんと長きに渡ってやって来た叡智。

「買ってくれる人にとっては最期の最期まできちんとやることが大事なんじゃ」
札をひとつだけ位置を間違えたら・・・写真撮るとき横へ外した。
納得がいかんという彼女の声なのだ。
そういうことが私は嬉しかった。そういうことを大事にしていくべきなんだとも思った。
IMGP0522.JPG


楮は昨年は全国的にも豊作ではなかった。
だけど、若山に於いては自分の気持ちから影響が出てる。
5年目にして少々油断したのだと思う。
誰かがやるというのはダメなんだ。
自分がやるという力が働かないとダメなんだ。


だけどパワーはまちがいなく下り坂。
そこをどうにかせなあかん。


ので・・・食えないからと昨年から走ったバイト辞めました。
それがどういう事になっていくか判らぬまま辞めた。

やっと本業一本。
迷走したこの10ヶ月で沢山学んだ。
20年ぶり位に普通の仕事、タイムカードであった。
辞めるその日、紙の注文が入った・・・

ようできてるなあ、バイトしてたらできなかったよと心の中で思い
「ありがとうございます!」と答えた。

楮栽培と紙漉。
一直線の先にほのかに見えてくるものがある。
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2012年02月09日

冬の暮らし

原料の楮を栽培して漉いてるたったひとり紙漉の冬の暮らしは、一番の寒い良い時期に収穫と備蓄作業に追われます。
そして5年前から友人の母ちゃんに御願いされて引き受けた小学校の卒業証書漉きが入ってきます。
その間に多少なりともこの時期にしかできない保存食とかもあるわけで。
文字道理、クローンが3人は欲しい。もしくはこの時だけ家族が欲しい(笑)

おまけに昨夏から三足の草鞋になっており、まるで出稼ぎの父ちゃんという新しいレプリカまで出現しております。
一人三役。やってみた・・・・。
やっぱりどこかに無理が祟ったんでしょうかねえ・・・ヘルニア一歩手前となったです。

なんだか忙しいのに、電流が走る痛みに、しばし身体を横たえるといか言う悪しきバージョンが復活して思うように進まぬ日々。
だけど年の功といはよくぞ言ったもので、若いときにはこうなると自分を責めて「怠けてる」とか思って余計足かせになってた部分が・・・
すっぽり抜け落ちています。
もう、成るようにしかならんわけで、あかんのなら自ずと成るように方向転換してまう。

食事を再考するとか、お誘いを全部断るとか、無駄な事と思えることを全部排除して体力温存に精進するという
今までの自分では絶対あり得ないシチュエーションをこなしています。


さて5年目の卒業証書漉き体験もやっと終わりました。
そもそもの初めは友人に3人の母在り。
彼女がどうしても我が子に自分で紙漉やらせたい一心で学校や教育委員会を動かしてしまった。
二分の一成人式というのをこの学校ではやっているんです。
20歳まで地元に居る子が少ないので10歳でやろうということ。
それを親子で紙を漉いて贈り、額縁に入れて飾るという・・・。
過疎で高校とかが下宿になる。やはり大きいけど島なんだなあと思ったのですね。
この時、一人の女の子はお婆ちゃんが来ていました。なんでやろう?と思ってた。

式の時互いに書いた文章を読み上げて手渡すのですが。
おばあちゃん「お父さんが漁で怪我してお母さんが病院通いで寂しい想いをさせてごめんな」と。
女の子は小さいからだ全身を震わせて泣きながら「ありがとう、おばあちゃん」と。
もう私は号泣もんでした。
そんなドラマがあったんやと。

あれから5年。体験が当たり前になってきて、ちょっとだれでるなあと感じました。
父兄も先生も私も・・・・・。
初心忘れるべからず!
一人一人の子には一瞬の一生物です。今一度気を入れ直そう。

やっと一息つくのが毎年今頃。
1年の大反省と今年への意欲がないまぜになる。
おまけに「乾燥物」や保存食やらが目白押し。この時期にやってないと寂しい1年になることを痛感してるし・・・。
一方で春の足音が始まって、あっというまに駆け抜けてしまう。
磯ではふのり、あおさ、ひじき。
山ではフキノトウやらの山菜。
台所では今年から始まった麹のどぶろくやみりんや酒粕にいろいろのつけ込みや漬け物。
料理も紙漉同様、元の元にまでやっと辿り着きつつある。
お米を作り、調味料も自分で作る。
やりたいと騒いでるうちはできなかったね、なんか気がついたら始まっていた。
こういう四季折々の衣食住で土着な暮らしが始まると
いかにそれまで、「旅人」の感覚でいたかがわかる。
いざとなれば、まずいことがあれば逃げ出せばいいんだよ、他所から来てるんだし、家族は東に居るとどこかで思ってた。
じゃーない事態になった311以降、自分の中でかなりな質疑応答になった。
先のことは判らない。だが今此処。
何かを捜してうろつく時期はとうに過ぎてる。
気がつけばこんなに恵まれた環境にいることに感謝が足りない。
料理にしたって、かなりやってきたと思ってたけど、でき得ていなかった根本の根本への負い目を払拭するのは「今」しかないのだよと
教えてくれた田んぼ。

便利な店で「外国」のもん使ってる暇無いくらいお米文化の日本の「食」は素晴らしく
だからこそ、この先それを自ら失うかも知れない、いろんなことに嫌でも関心が向く。
こういう「味」をしっかり叩き込みたいという欲求がふつふつとする。


そんなビバ!お米文化な一方で・・・
薪の調達です。
温暖なここらでは薪を調達するのはこの時期。豪雪地帯の方、ごめんなさい。
乾期で木がすぐに乾くし、人間の運動不足解消、百姓仕事が一番暇。(ちなみに3月になれば猛烈に忙しくなり11月までやること満載)
伐りだし、薪割り。
自分、もしくは仲間で食のやりとりがあり、土の下から得る水があり、適度に山から薪を調達することで循環されてる暮らし。
必要最低限です。これ大事。
紙の仕事もこの域からはみ出さない。


なのに・・・ヘルニア手前な私。「健康であること」の大儀ががつーんと来た。
おそらく外科へ行けば速攻「手術」やったろうなあと昨日自覚。
最期の頼みの綱の恩師の鍼灸へ。
「あはは、手術もんかもしれんが、ボクが治しちゃルから頑張って通え!」
紙漉の修業時代にお世話になって17年ぶりです。
で・・・この2ヶ月悪化の一途でしたが、たった1日で回復の光が見えてきた。おそるべし朝倉の「みまき治療院」

というわけで、今日から漉きだし、明日には干し、最期のへぐりの段取りも宜し。
チェーンソーを久しぶりにメンテして溜まってる薪作業も。
春の田んぼや畑や果樹の剪定も待ってる。

疲れたら速効でストーブの前で昼寝して、自家製どぶろくと近日発売になりそうなプロモーションしちゃった塩麹と玄米あれば
結構思ってたよりはかどってる不思議。

3足目の草鞋は今月一杯で脱ぐことに。
これも修行じゃったなあ。
本業でがっつりやるしか、今生の私には選択の余地なし。
こんな私でも受け入れてくれて、生かしてくれてるここでしっかり足踏ん張らないでどないする?
しかも好きなことやらしてもらってるではないか・・・
毎年、楽しみに待ってる子供達が居て、子供を産んで育てたことのない私にも卒業式参加を与えてくれてるではないか・・・
凄いなあとしみじみ思う。
バイト先のおばちゃん達も「食えなくなったらすぐに戻って来い!何時でもOKじゃよ!」って(笑)

というわけで・・・復活です。
posted by ハレハレ本舗 at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年01月23日

メモ

昨日から岡山西口の元コタンにて「寒をたのしむ小さなおまつり」展というのが始まりました。29日まで。
場所は「the market]を検索して下さい。

18年来の友人とこに泊まって、いろいろ話した中に
過去や記憶って存在しないの、そもそもが。思い出したとき作動する装置なの。

だよね〜だよね〜。

5年前の悪夢が去来すること覚悟で参加したらやっぱりでしたが・・・。
そして、その悪夢本体も生きて進化してるらしいことも伝わって来てて・・・。

なんだろうね、これって。久しぶりに嵐に揉まれたような感じだけど、、、あはは。

そんなことをぼーっと考えて運転してたら楮栽培の会長から電話。

ここんとこの悪天候で初めて「生仕事」故の大変さに遭遇してあたふたしてきた。

私は自分の仕事、ここの仕事、もう一分の余裕もないくらいぎちぎちな日程と天候とのにらめっこで動いてる。
やるだけやってダメならもう仕方ない。
だけど、10人からが関わってるこっちは、10人居れば10人なりに動けるはずだし、予測できるなら対処もできるはず。
失敗を人のせいにしてるうちは・・・・。指示を待ってるうちは・・・。あかんのよ。失敗してみないと、させないとわからんちゃね。


岡山は濃かったなあ・・・・
今までやってきたことや、やっぱりこういうところと繋がってるんだということ再認識。
そこに悪夢も参加してきて鍛えられた。
まあ長く生きてれば失敗もあるさ。
それでも、やりたいことははっきりしてきてるし、実際5年前にやりたくてもできなかった空論は形になってきてる。
久しぶりに「過去」を嫌と言うほど思い出さされたおかげで、こんなしょうもないことさっさとけりつけようと力入ったな。

自分がやらかしたことはブーメランのように自分の元へきっちり戻って来るらしい。これは20歳の時に聞いた話しで、その後見事にその通りなんだ。
日々、自分の中を点検して日々些細なことから大きな事まで選択する毎日の中で
自分が生きる上で誰かを犠牲にしたり、ないがしろにしてまで生きていないか?
大事なことを後回しにしていないか?
この2点が本当に大事。

自分はひとりでは生きていないんだよね、絶えず細胞レベルでは人に限らず、動植物うや鉱物などありとあらゆる物達と連係プレーしてるから生きていられるんだって、そういう話しを今朝してた。

50を過ぎた辺りから体力などの下降に転じて他者との繋がり方が変わってきてる。
若いときの方が自信が無くて他者に依存してたが、自分にやっと自信が持てるようになり、自分でできることを極める方向へ。
体力が衰えるなりの策は幾らでもあるし、できなくなっていくことはやらなくてもいいことなんだと思うと・・・
逆に今まで頭で考えて「無理」とかいろんな人に言われたり関係性の中で手を出せなかったことが、こうも簡単にできるのか?とあきれるような展開でもある。


ここに根を張る。
自給のカテゴリーを増やす。
そういう中でいろんな人達と今一度繋がる。
ここがあるから自分が在るということの再認識。

此処って?地名じゃない。
太陽が昇って、月が満ちかけして、土を耕して糧を頂いてる。地球上のどこでも普遍的行われてる営み。
そこに自分を埋没させる。自分が死んだらこの土になるということ。

あちこち行かなくてもちゃんと繋がってる。
そろそろ、そういうお年頃(笑)
posted by ハレハレ本舗 at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年01月12日

へぐり

始まっています、今年も。

年末に剥いだ楮を今度は水に浸けて柔らかく戻して外皮のあまがわから外を包丁で1本1本削り取る作業です。
蒸し剥ぎは火を使う作業。
へぐりは水の作業。しかも、このへぐりという作業はここらでは昔もやっていなかった「新しい」作業です。
本来は黒いまんまの原料を原料商が買い取って、紙漉を引退したおばちゃんやじっちゃん達の小遣い稼ぎにやってもらってた作業。
もしくは紙漉の家ではじいちゃんや婆ちゃん達の仕事。
へぐりとる歩合で紙の質も変わってくるので、大事な大事な作業。

これをやれる人がほんまに少なくなってきています。
いくら良い楮を作ってもこれができないと、良い原料とならない。
なので初年度から全くの素人の皆に練習してもらっています。

昨年からは近くの小学校の校長先生のご厚意で浅いプールを借りられるようになり、ここで水中漂泊、そう、晒しができるようになりました。
昔は川に晒したりしたようです。
私はもうそのような光景は見たことがありません。
なので苦肉の策。
水道代も校長先生が教育委員会へかけあってくださいました。

今年のスタートは割と温くて、「お!楽じゃん〜」でしたが・・・
本日、やっぱりがっつり凍りました。

なんせ高齢者の多い協議会。
それでも凍ってる中に入って作業してくれるのです。
長老も入りたがるのですが、心臓発作おこされたらいかんので、辞めさせています(笑)


今日はこのへぐり体験にここの小学生が来ました。
大人達と同じよ〜〜〜く切れる包丁でやらせます。
面白いように、剥がれると笑顔がこぼれます。
大人と違って、言うことを良く聞いて丁寧に神妙な顔つきでやります。
昨年は危ないかなと思い、スクレーパーを使わせたんですが、。。包丁でもちゃんとできる。

そして独特の洗い方をやってプールへ。
氷にはしゃいでいたけど、いざその中に私が入って手を突っ込んでやり始めると、皆硬直しちゃいました(笑)

それでも感想は「もっとやりたい!!!」でした。
もう1回やるようになるかも。

協議会の10人以上がこのへぐりができるようになってきて
地域の子供達も覚え始めました。

想ったより填ってくれるので、ほっとしてます。

毎年この時期の名物作業になっていって欲しいです。

メンバーも集まって一緒に作業しながらわいわいと賑やかだし、おばちゃんたちが毎日昼ご飯を賄ってくれてます。
とれとれの魚の魚飯とか、つみれのすまし汁とかお手製の漬け物や餅や、今日は赤飯まで。
一つ釜の飯を食う。。。。
休む間もなく手が動き、塩梅よくふやけてうまく剥がれるときは口も良く動く。
戻し加減が悪いと静まりかえって怒り出す(笑)

その日の天気や皮の厚みで、うまく戻してなんぼ・・・・頭の中を楮が泳いでる私です。
みんなのへぐるスピードが各段にあがってるので、頭の中は大変です。

やっと、やっとプロ集団になってきた!
専門用語が飛び交います。
「これ、やけだ!」そう木質化した赤い筋。これをちゃんと取り去ることができるようになってきました。

こんなに大所帯のへぐり集団に育つとは正直初年度には諦めモードでした。
ましてや本晒しになったら誰も来ないのではないか・・・と。

が、今日の子供達の「面白い!もっともっと」で結構はまりどころなのかもしれないなって。


外で洗ってるとき蛇口で血を流してる子がいて「うわ!指切ったか!?」と駆け寄ると・・・
「へへへ・・鼻血です」と、力抜けたわよ・・・。
鼻にテッシュ詰めて、しっかり洗ってました。


追伸

コメントありがとう、栗坊さんと和紙Comさん。
なんせ、毎日これでして・・時間出来たらゆっくり返信しますね〜
毎朝4時半起きであれやこれやを走り回っておりまする・・・・。本日ももう寝る時間ですわ・・・
posted by ハレハレ本舗 at 19:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 楮栽培復活事業

2012年01月09日

2012年幕開け

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ご挨拶が遅くなりました。
本年も宜しくお願いいたします。

昨年はもう自分のことなんか後回しな1年で、気がついたら楮の収穫作業に突入してた。
家族や親類縁者、友達、お得意様が圧倒的に東に居る私は錯乱状態だったと思います。
こちらへ続々と避難してくる友人達も居て、何が何だかの対応。
目先のことにここまで追われた年も初めてでした。
家族との対話、生き方、それらのやりとりも
なんで今までもっとちゃんとやってなかったのかというジレンマに陥り、紙どころではないはずなのに・・・・
災害もなく、遠い西の最果てに居るので、感覚的には「人ごと」のような場所で何事もなかったような空気感の中で
今までとうりに「続く」ことも継続していかなければならず・・・。


はたと気がついたら収穫作業へ突入してました。

でもこの作業にもやっぱり現れてきた。

なんでこんなことをやってるのか?
どうしたいのか?
自分自身はこのことを続けることで、どうしたいのか?

立ち上げてまだ5年のみんなとは「お金が全て、結果を出すことが全て」の段階。
一方で理想とする「お金が介在しない繋がり」を目指してずっと来たのに出来得なかった事が
いきなり始まった。
そこにはここ3年で来た若い人達の意識のおかげ。
あっさりと「やっていこうよ」と。
若いからとは簡単に言えない。実際に状況が彼等を青押ししている。
そこに躊躇してしまうのは私達世代から70代半ば。
80代以降は嬉々としてる(笑)じいちゃんと孫の関係だよね。

石の上にも3年とはよう言ったもんだなと。
3年を経過して内側が表面化してくるわけです。
見事に皆の内面の「陰性」が現実化して、各自ここまで出たら内省するしかないわけで。
人のせいにしたくても出来ない事がまさに「想定」できたけど「想定外」で
あとは家に帰って布団の中で考えて見い。簡単に答えは出る。
人のせい、お金のせいににできることは一つもないのよね。
想定外なことは全て想定できるからこそ、引き寄せるのです。

それぞれの「想い」を抱えてやっと手慣れて来た作業が続きます。
勿論、最高の原料を作る。その事一点のみ。とてもシンプルです。
5年走ってきて、目的そのものは絶対に揺らいでいません。
結果?
数字でしょうか?そこも出していきたいし、出さないと説得力も継続も難しい。
勿論、出していきます。


人の在り方。繋がり方。人同士、自然を見る視点の位置、自然と人間との繋がり方。
それがどれだけダイレクトになるかに鍵はある。
小手先の事じゃないのです。
言葉でもない。


何故か猛烈に忙しい年末にかけて「人類が神を見る日」という本を再々読してました。

ぺろーんと外側と内側がひっくり返る、めくれちゃうわけです。
そうやって人類とよばれる生き物は内側と外側をめくりながら来たらしいです(笑)
めくる瞬間に居るのが今だとも言えるのですね。

2年前からお米を作り始めたこと。
ハレハレ本舗の作業に農的暮らしを目指す本物の若い人が関わりだしたこと
若山楮の作業で古老達のポジションを皆がリスペクトし始めたこと。

原発の起こって欲しくない事態が発生したことで
それまで細くなっていた「縁」が中心軸になって再起動したこと。

私も自分の古い形骸化した皮を脱がないとあかん。
いろんなことが押し寄せる中で、シンプルになっていってます。

紙を創ることは喜びです。
これなくして今生の自分はあり得ない。全てはここへ帰結したいです。

どこへ向かってるのかハレハレ本舗・・ですが・・・。
それほど迷走してるとは思えない(笑)

今年もよろしく御願いいたします。
目を離せない展開になっていくのでお楽しみに!自分が一番楽しみなんだよなあ、わはは。
posted by ハレハレ本舗 at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2011年12月29日

ソローの森の生活から四万十暮らしへの自覚

今、玄関の上がり口に今年採れたお米を置いてる。
少なくたって、嬉しいのだ。

そしたら、先日下のおばちゃんが「今年は餅つきせんのか?昨年のだがきちんと保存してるのがあるから、やるよ」と30キロ来た・・・。
ここのも、自家用なので殆ど無農薬、たばこの後の作付でもないのでかなり安心。

そしたら、今日は大家が「今年ちゃんと採れたのか??足りないようなら、今年の無農薬の米余ってるからやるわ!」と・・・。

秋口にも30キロ来たしなあ・・・。

お米作り始めて2年目。
この2年一度も米買ってない・・・。
以前は大所帯で米びつが空っぽになって、安い米買いにスーパーへ走ったもんだ。
たま〜に30キロもらってもすぐに空っぽ!


今・・・・お米沢山!!

お餅は搗かないので、これで味醂を作ってみようと思う。
レシピは友人がアップしてるので、それを見よう!


考えてみれば・・・・

野菜作っても、元相棒からじゃんじゃん来る。
塩も昨年炊きあげ式で(海水を土鍋でストーブで煮詰める)やってたら貰うことの方が多い。
お米は書いたような塩梅。
薪も自力で採った試しはない。
楮も・・・・これはちょっと長かったが自家栽培してたから・・・・
昨年からの地域の楮が素晴らしくなってきて、いざとなれば此処に原料があるという奇蹟が産まれた・・・。こればっかりはスーパー行っても売ってないからな。
これはちょいと頑張った。お膝元に生産してるという状況を作らないとならなかった。日本広しと言えど、こんなマイナーな作物を作ってるところは年々激減してるし、自分と同じ無農薬となると、幾らもない。
なのでちょい頑張った(笑)
今年やっとこさ、自分達の暮らす地域にどんだけ楮があるか自覚してくれた。
長かったなあ、もう!

どぶろくは、つくらにゃ〜と言ってる側から・・・来る。
柚胡椒も、塩麹も作る・・気でいたのよ〜笑。

以前は大所帯で貧乏故にみんなが見るに見かねて
居候に若いおなごがいるので、逢いたい口実に
物が来てたんだと思ってた。

だが・・・・
じゃーないような気がする。

ただし、自分で作りたい、作るを始めると・・・・来る。
やらない物は来ない。


そこで思い出した。
17歳の時読んだ「ソローの森の生活」
憧れやった。
自分が生きる上で必要な物は全て自分の手で産み出すこと。
豆が何粒あれば生きられるか・・みたいな。

実際、簡単な服は縫えるし、陶芸もかじってる。
野菜、へたくそなりにスタンダードなものは作れるようになった。
ちょっとした棚(二三判用の棚くらいなら)作れる。
チェーンソーも草刈り機も丸鋸も使えるようになった。

しいて言えば魚釣るのがダメ。これも必死になればやれるだろうね・・。

そして・・・ソローさん、一人で生きて行くことの経済なんやが・・・
豆何粒とか、ストイックなまでの経済性は・・・・
農的生活では・・・はみ出るねえ。

旅人が赤線引きまくりの岩波文庫を「必ず返します」と持って行ったきりの
「ソローの森の生活」

もう返ってこなくてええよん。

洋服も、茶碗もものつくりの友人達が、ええのを作ってる。
力仕事は痒いところに手が届く若いのが沢山居る。
魚は漁師が居るし、山仕事もプロが居る。

それでもお米作るとか、野菜作るとか、花を育てるとかしたいし。
薪割りして美味いビール呑みたいし。
してれば、もっと極上が来るんだから、楽しみとしてやっていけばええねんな。
やってれば、プロのお仕事に手伝いできるし。

お米と薪と塩と野菜と生きた水があれば生きていける。
そして、それは余り余るくらい豊かにある。
友人達との繋がりと暮らす土を大事にしていれば、ずっと与えられていく。
そして、ただ「やってくる」ことを待ってるのでなく、ちょい自分でやってみるということがミソだと思う。
そこに共通の会話が生まれる。
へたくそでもいいのだ。
やってみようという好奇心は・・・引き寄せる。

それらを「物」にするのだ!と悪戦苦闘し続けたけど
物には向き不向きもあって、やってる内に周りにプロがようけ居ることに気がつく。
ここからは得意分野に絞ってもええかなあとか思い始める緩さが出てきたなあ。
若い力持ちの男友達が「なんでも自分でやってしまうんだよね・・・」と怒る。
そう、委ねることが苦手で来た。
今年各段に力がなくなってきてる、気力も続かない。
なのに、何?この楽ちん、極楽とんぼ。
気がついたら・・・・そういうことになってる。過去形です。
じゃー未来はどうなの?
未来という言葉をもう言ってる年ではないのではないか?
だが、今までも明日、明日の短距離で来てしまった自分に「想定」する芸がないのもあきらか。

今、生きてる、それもかなり幸せであること。
ならば、この先もしがみつかなければ・・・・とは思うが・・・・不確定要素は畳みかけるように質問してくる。
毎日、下界へ降りるようになってから「揺れて」しまう自分が居ることも確か。

「ようこんなんで生きてきたなあ、奇蹟や」という発想が生まれたのも今年。
見なければ、知らなければ良かったのに・・・・
だが、そういう人達が言う事の、なんか違うんじゃないか?ということにも敏感になった。

例えば「エコな洗濯できます。泡切れが良くて節水」という宣伝。
ちゃうじゃんね。
節水は自分の懐。
泡を出す、やばい合成洗剤使うことで川や海を汚染してる。
どこがエコなの〜?!
そういうロジックを目の当たりにする20年振りの世界で・・
自分自身にも質疑応答がてんこ盛り、弱さ露呈。浮世離れのつけ・・・。
そろそろ腹くくった方が・・・身のためとも言える。
あまりにもギャップが深い・・・。

身の丈という言葉がある。
その「身」には無限の言い分があり、無限の個性がある。だけどたかだか人間の「身」のことだけあげつらって大騒ぎしすぎてるのかもしれないと・・・「エコな洗剤」の特価品を買う主婦を見て思う。。。

そして、ほんの一瞬、この地球に借り暮らししてるんだから、ちゃんとした所作で暮らさないといけないけどね。
愛する長老達や友達が沢山、あっちへ逝ってしまった今年。

ほんの一瞬だなって。
posted by ハレハレ本舗 at 22:32| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

2011年12月13日

若山楮刈り取り終了

3日間にわたる刈り取りが終わりました。

野生の本能と申しましょうか・・・・
収穫すること、それも山や河原という場所なので、畑や田んぼ、ましてやビニールハウスとかとは全く趣が異なります。
山菜採りと似てるからなのか、人間の方も動物みたいになりますね。
今年は大方高校の先生が試験中の生徒の代わりに来て下さり、1日がっつりやってくれたり
地元の小学生10人が来てやってくれました。

葦船で外洋後悔をするじんちゃんに教えられた「チチカカ湖民族のロープワーク」で束ねることを必ず伝えています。
大人より子供の方が呑み込みが早い。
「これ、お母さんに教えたろー」と頑張ってやってくれました。

本番は週末18日ですが
昨夜忘年会。

いやーもう盛り上がりましたね。
会長が唄うなんて・・・・目が点になりました。
そして、とあるおっちゃんには「こんなことになってくれて俺は嬉しい」と泣かれました。
80代の長老とは化学肥料、除草剤はあかん!!と激しく合意(笑)

本番前からこんなに盛り上がって大丈夫じゃろか・・・。

この若山楮を愛して絶対にやり遂げるという強い意志を保ち
自分のためなんかじゃない、この地域が元気になってくれるとこが望みであると言う役場の推進室のひとみちゃんあってのこと。
昨夜はその想いに釣られ泣きしました。
ほんとにありがとう。

最後に一本締めまでやはり出まして・・・。

本番に雪崩れ込みです。


自分の紙仕事も平行してかなり怒濤(笑)
今日は午後から臨時休業で爆睡です。こうでもしないと今年は乗り切れないなあ。
呑むより、食べるより、寝るに尽きる。

暦ご注文の皆様、ちょい待っててね。なんとか月末までには送りますからね〜。
もし、これをご覧になって「欲しいなあ」という方いらっしゃったら早くご連絡を。
注文数のみ最後の制作に入ります。
よろしく〜。
posted by ハレハレ本舗 at 20:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 楮栽培復活事業