昨日から岡山西口の元コタンにて「寒をたのしむ小さなおまつり」展というのが始まりました。29日まで。
場所は「the market]を検索して下さい。
18年来の友人とこに泊まって、いろいろ話した中に
過去や記憶って存在しないの、そもそもが。思い出したとき作動する装置なの。
だよね〜だよね〜。
5年前の悪夢が去来すること覚悟で参加したらやっぱりでしたが・・・。
そして、その悪夢本体も生きて進化してるらしいことも伝わって来てて・・・。
なんだろうね、これって。久しぶりに嵐に揉まれたような感じだけど、、、あはは。
そんなことをぼーっと考えて運転してたら楮栽培の会長から電話。
ここんとこの悪天候で初めて「生仕事」故の大変さに遭遇してあたふたしてきた。
私は自分の仕事、ここの仕事、もう一分の余裕もないくらいぎちぎちな日程と天候とのにらめっこで動いてる。
やるだけやってダメならもう仕方ない。
だけど、10人からが関わってるこっちは、10人居れば10人なりに動けるはずだし、予測できるなら対処もできるはず。
失敗を人のせいにしてるうちは・・・・。指示を待ってるうちは・・・。あかんのよ。失敗してみないと、させないとわからんちゃね。
岡山は濃かったなあ・・・・
今までやってきたことや、やっぱりこういうところと繋がってるんだということ再認識。
そこに悪夢も参加してきて鍛えられた。
まあ長く生きてれば失敗もあるさ。
それでも、やりたいことははっきりしてきてるし、実際5年前にやりたくてもできなかった空論は形になってきてる。
久しぶりに「過去」を嫌と言うほど思い出さされたおかげで、こんなしょうもないことさっさとけりつけようと力入ったな。
自分がやらかしたことはブーメランのように自分の元へきっちり戻って来るらしい。これは20歳の時に聞いた話しで、その後見事にその通りなんだ。
日々、自分の中を点検して日々些細なことから大きな事まで選択する毎日の中で
自分が生きる上で誰かを犠牲にしたり、ないがしろにしてまで生きていないか?
大事なことを後回しにしていないか?
この2点が本当に大事。
自分はひとりでは生きていないんだよね、絶えず細胞レベルでは人に限らず、動植物うや鉱物などありとあらゆる物達と連係プレーしてるから生きていられるんだって、そういう話しを今朝してた。
50を過ぎた辺りから体力などの下降に転じて他者との繋がり方が変わってきてる。
若いときの方が自信が無くて他者に依存してたが、自分にやっと自信が持てるようになり、自分でできることを極める方向へ。
体力が衰えるなりの策は幾らでもあるし、できなくなっていくことはやらなくてもいいことなんだと思うと・・・
逆に今まで頭で考えて「無理」とかいろんな人に言われたり関係性の中で手を出せなかったことが、こうも簡単にできるのか?とあきれるような展開でもある。
ここに根を張る。
自給のカテゴリーを増やす。
そういう中でいろんな人達と今一度繋がる。
ここがあるから自分が在るということの再認識。
此処って?地名じゃない。
太陽が昇って、月が満ちかけして、土を耕して糧を頂いてる。地球上のどこでも普遍的行われてる営み。
そこに自分を埋没させる。自分が死んだらこの土になるということ。
あちこち行かなくてもちゃんと繋がってる。
そろそろ、そういうお年頃(笑)