2017年01月31日
田舎というキーワード
田舎に移住して来て24年目。
東京で悶々としてた20代。
身体の事もあって「どうしたらえんじゃ?」の30代。
手にした当時まだ珍しいカラー写真の新聞に「後継者を育てる!」という高知県の手漉き和紙組合の記事が。
「育てる!」ということは当然修行中の生活費なども面倒見てくれるんやな?と思ってアポイントもなく
いきなり紙の博物館の事務所に入って行ったのがきっかけ。
「給料貰いながら学べるのですね?」という私に当時の館長様は絶句。
紆余曲折あって個人の紙漉場へなんとか入るも。。今思うと当然だけど給料無しという条件だ。
これをクリアーする為に1年かけて貯金と車の免許を取得して「行きます!」の手紙に。。。
「ホントに来る!」と慌てた親方一家でした。
あれからしたら・・・。
随分と田舎の間口は拡がったもんだと思う。
最近は「地域起こし協力隊」「地域支援員」というカテゴリーもできたし、儲からない楮栽培をやってる私はかなりお世話にもなってる。
助成金でなんとかここまで来た憐れな若山楮である。
それは、ひとえに「これは面白い!他がやってない!高知って和紙じゃないか!ホントに昔あったこと!」という
役場の中のテンションが高い人と地域に昔の面影を知ってる人が居たからこそできてきた。
だが。。。
60年前までは飛ぶ様に売れた楮と言う作物が売れなくなった背景を知ってる人も当然沢山居る。
つまり超マイナス思考の方々を足先にぶら下げながらやってきた。
イベント?だからどーした?儲からないという発想。
そうです、儲からない。
だけど・・・・現金は入って来ないけど貴重な「手」が仰山集まる。
これを賃金換算したらとっくにアウト。
「タダの手ほど高くつく物はない」とはハレハレ本舗で経験済み。
イベントではなく「共に汗する仕事」という方向へ向かってる。
楮や和紙に縁がなくなっても「田舎で仕事する」ことを彼らが何時かどこかで「やって良かった」とおもってくれたらそれで良いし、私は刹那的な収穫作業を彼らの御陰で毎年なんとか終えられてる。
更に「その意味」がやっと地域の中にも判ってくれる人達が出て来た。
「こんなことが面白いのかね?一緒にやれて愉しかったから来年も!」となって。
ああ、最初の想いは8割り達成したかなと思う今年。
若山楮を始めた時。
とにかく地元の人に誇りを持って欲しいという一点のみ。
これは楮作業を通じて、焚き付けにする薪の事や一緒に食べるおばちゃん達が持って来るおやつの事や
そういう暮らしがまだ残ってて、そういう愛情たっぷりなベースの中で仕事も一緒ということ。
イベント仕立てにしてるけど、実はそういうこと。
御陰でファンが集まる様になって、重たい楮を若い人が運んでくれて「有り難いのよなあ」と。
こんな田舎の善哉をあの子三杯も食べたで!明日も作っちゃるよ。
そういうことは「賃金」の数字には上がって来ない。
新しい作業場は「イベントにする為の余計な労力を辞められる」わけです。
つまり、「若山楮の仕事場へようこそ」と、やっとなるのです。
テント張る、撤収する、出店するそういうの全部辞めたら今までかかってた人件費かなり浮きます。
ついでに言うなら、ゴミも出させない、これは都会から来る人と田舎の昔の人との大事な温度差が顕われると思ってる。
とにかく地域で暮らしてる人達の仕事場の中へようこそ!がやっととなります。
地域起こしはまず、地域の人の意識を変えないと無理なんですね。
環境意識や情報が沢山ある他所者ばかりでやっていても其処は「外国みたい」なんです。
口で言ったって変わらないし、変えようと言うエネルギーはもう使わない。
いやもう、すっかり寝てる年寄りばかりの中山間を起こしてどうするよ?
そっとしておいてクローズして良いよと思ってます。
私は、ただ閉じて行く其処に楮があるもんだから採ってるだけで、後見るとおんちゃんが
「そんなやり方あかんぜよ、こうやるんだあ!」となってるだけです。勝手に来る。
儲からないけど赤字はモチベーション下がるのよなあと思えば。。。
なんとか作業賃金分になる値段で買い上げてくれる人達がついてきてくれてます。
これって奇跡よね(笑)営業一切無し。そんな時間ないですし。。
あ、またも長くなりました。
日経の地域起こし云々の記事を毎度見てて、そやなあ!と思いつつ・・・
そうならない為に、できてるか?自分とか時々足元見ますんで。
一通りの作業が終了し、建設現場が動きだし、次の諸々考えないとあかんし
確定申告来たし(笑)歯痛いし。
薪を取りに外へ出れば見事なお空です。
釜2種

ホントに便利な世の中になった・・・。
果たしてそれが良いのかは日頃疑問もあるので、ネットで買い物は極力避けてる。
今回、限りなく予算がない中で四苦八苦しているので、ネットを調べまくったら出て来たのがコレ。
メールとFAXで対応してもらえる有り難さもあった。
ただし実物を見ずに買うというのが不安だった。
今朝無事届いて幌馬車トニーに鎮座。
平釜と羽釜。
甑との関係でこの大きさとなったんだが、小さくも感じる。
今までは同じサイズの平釜だけでやってきた。
今期、4日間で12回転となったから、2つの釜でやれば単純計算では2日間6回転となるはずである。
もちろん楮は増やして行くつもりだから、もう少しかかるだろう、かからねばいかん(笑)
蒸す時間を3時間厳守にした今期、剥ぎ易くてひと釜だと手があいてしまうという結果だったので
自分としては2つの釜は正解と今の所思ってる。
竃が2つなので、焚き口も2つ。
これも若山楮第1号の竃は予算がなくて鉄製の蓋だった。
すぐに錆びて動きがよろしくなかったので、今度こそ!
牡丹の彫りの物があったが、サイズ無しで一般的な物の最大サイズ。
第1号を作ったおんちゃんが2号も作る。
「より燃焼効率」の良いの作っちゃるからな!張り切ってくれてる。
どこよりも安く買える大役を果たしてホッとしてる朝です。
2017年01月28日
胎動!若山楮工房建築日記@黒潮町其の一
旧暦の元旦の本日。
明けましておめでとうございます!
さて、3年近く、すったもんだしてた若山楮の新しい工房の工事が先日やっと胎動!!!
土地の再計測に手間取ってましたが・・・・。
やっと掘り始めてくれました。
工房になるべくの地面。
傾斜がかなりあるので、低い方に盛り上げる。
竃と水槽に成る部分。
黒潮町内で竃を作れる職人さんは一箇所だけ。
10年前に今の「こぶしのさと」さんの敷地に作ってくれた、おんちゃん達。
御年75歳・・らしい。
生きててくれてありがとう!!
10年前に本場の大豊町の実にネイティブな竃を見に行ってくれて絶賛してたおんちゃん。
仕事にかける想いとプライドは素晴らしい!
今回も気合いは半端ないです。
風の事、焚き物のこと、一杯教えてくれます。
なかなか、工事が始まらず・・・。
片道30分の私の家に突然来る事数回(笑)高知弁でいう相当な「イラレ」です。
竃や焚き口は予算の都合もあってネットで私が買うと言うことも。
新しいやり方、現場の主任は若い人だし、おんちゃん達手こずってます。
イラレってましたが、いざ掘り始めたら、あっさりと「待ち」になってくれた。
「おんちゃん達の本領発揮までは体力温存しちょってよ!と私からも(笑)
そしてね、、今回も出ましたよ、「朝の連続ドラマ 若山楮」のネタ!
全部の元締めの方が、かつて紙漉さんやったと(3代目?)
それも私がお世話になった親方のすぐ近くで私は24年前に見学させてもらってる。
そのすぐ後に廃業なされて、この黒潮町で今の仕事になったとか。。。
まさか、紙漉だったご自分が紙漉き場を作る事になろうとは夢にも思わなかったと。
こんな僻地にUターンしてきた若い設計士さんの事と言い。。。どんだけ役者が揃うのだろう?
もうダメだと暗転すると必ずこういう展開になる。
神様が超絶に頑張ってるとしか思えません。
人間の方が諦めようとしても神さんが諦めないんです。
色んなダメ出しがかえって「これで良かったんや」という展開丸出しで進んでます。
「お前らに任せててたらろくな事にならん」と何度もあるハードルの度に
「あ、私どうしたいんや?」と深く考えさせられてるものの・・
周囲のハイテンションも半端無く煽られるし。
「あのまんまやったら実は水がよろしくなかった」とか後から判るし(笑)
もう綱渡り状態、エッジをギリギリで進んでる。
3月末の完成まで通って写真撮って行きます。
お楽しみに。
明けましておめでとうございます!
さて、3年近く、すったもんだしてた若山楮の新しい工房の工事が先日やっと胎動!!!
土地の再計測に手間取ってましたが・・・・。
やっと掘り始めてくれました。
工房になるべくの地面。
傾斜がかなりあるので、低い方に盛り上げる。
竃と水槽に成る部分。
黒潮町内で竃を作れる職人さんは一箇所だけ。
10年前に今の「こぶしのさと」さんの敷地に作ってくれた、おんちゃん達。
御年75歳・・らしい。
生きててくれてありがとう!!
10年前に本場の大豊町の実にネイティブな竃を見に行ってくれて絶賛してたおんちゃん。
仕事にかける想いとプライドは素晴らしい!
今回も気合いは半端ないです。
風の事、焚き物のこと、一杯教えてくれます。
なかなか、工事が始まらず・・・。
片道30分の私の家に突然来る事数回(笑)高知弁でいう相当な「イラレ」です。
竃や焚き口は予算の都合もあってネットで私が買うと言うことも。
新しいやり方、現場の主任は若い人だし、おんちゃん達手こずってます。
イラレってましたが、いざ掘り始めたら、あっさりと「待ち」になってくれた。
「おんちゃん達の本領発揮までは体力温存しちょってよ!と私からも(笑)
そしてね、、今回も出ましたよ、「朝の連続ドラマ 若山楮」のネタ!
全部の元締めの方が、かつて紙漉さんやったと(3代目?)
それも私がお世話になった親方のすぐ近くで私は24年前に見学させてもらってる。
そのすぐ後に廃業なされて、この黒潮町で今の仕事になったとか。。。
まさか、紙漉だったご自分が紙漉き場を作る事になろうとは夢にも思わなかったと。
こんな僻地にUターンしてきた若い設計士さんの事と言い。。。どんだけ役者が揃うのだろう?
もうダメだと暗転すると必ずこういう展開になる。
神様が超絶に頑張ってるとしか思えません。
人間の方が諦めようとしても神さんが諦めないんです。
色んなダメ出しがかえって「これで良かったんや」という展開丸出しで進んでます。
「お前らに任せててたらろくな事にならん」と何度もあるハードルの度に
「あ、私どうしたいんや?」と深く考えさせられてるものの・・
周囲のハイテンションも半端無く煽られるし。
「あのまんまやったら実は水がよろしくなかった」とか後から判るし(笑)
もう綱渡り状態、エッジをギリギリで進んでる。
3月末の完成まで通って写真撮って行きます。
お楽しみに。
2017年01月25日
冬本番
若山楮の白皮にする「へぐり」作業完了しました。
今期はちょっと段取りも変えて12月から突っ走り体制で皆お疲れだったと思います。
へぐりをするには乾燥させた黒皮を水に漬けて柔らかくしてから包丁で、それこそ1本1本です。
12月は生暖かくて一気に柔らかくなるので、休日だから休みなんて言ってられない。
楮の戻り具合に人間の方が合わせるしかない。
なので、誰もが「へぐり」が始まると休むなんて言わずに朝から夕方まで作業場へ通い続けてくれます。
昔ハレハレ本舗で居候してた若いのは、これが伝わらず遊びの誘惑に負けて自分優先やったなあ。
いやまあ、こういう仕事は若い子、特に女子には向いてないと思う。
若山楮は高齢者集団だから(笑)
私もまだ若かったんだね。
若山楮に続々と若い皆が集まって来るのは、おんちゃん、おばちゃんの仕事師の御陰です、私も鍛えられた。
原料商さんが驚いてました。
「え?此の時期に完了してるの?」って。
いくら年寄りと言っても皆さん農家さんでもあるので、2月終わり頃からは田畑が始まるので
「手があるとすれば2月まで」なんです。
現在の作付け量をどこまでやれるかを計った今期。
ひと月です。ただし延べ人数はかなりもの。ボランティア、体験など入れないと到底無理なひと月。
私始め、コアなメンバーは相当に疲れた。
作業するだけでなく、大所帯化する諸々も回して行くから・・・。
どっちが楽?
どうなんだろう?
愉しいという一点に関しては大変でも大勢とやっていきたいという結論出たかなあ。
そして今年から毎年四苦八苦してるへぐった後の黒塵を友達で、収穫作業でも参戦してくれてるヒデさんに
かねてから「畑のマルチに」ということで実際にお願いしました。
広い広い畑
これ全部を鎌で無農薬無肥料で。
野菜の株元へ敷き詰めてくれてます。
冬の葉野菜の泥はね防止にもなるし、発酵するから良い肥料になるはず。
一方でこれは紙にもなるので、私も頑張って来た。。。
だけんど、原料化するのに白皮より手間がかかるし管理も難しい、勿論紙にするのも難しければ成った紙を売るのも難しい。
難しいだらけで元手も取れないなら美味しい安心出来る野菜の役に立った方がええ。
大量に出るよ!って言ったのに、ヒデさんの畑のほんの一部にしかならなかったです(笑)
実は若山楮は予約を受けてる数量にもまだ足りず、あちこちからのご注文を今年もお断りしております。
まだ畑の中には余力のある場所があるものの・・・。
幡多地域独特の楮でやるとなると、移植がほんとに大変。
挿し木とか色々やり方があるようですが、その道のプロのおんちゃんも「若山の楮は難しい」って仰る。
簡単に「畑」で増やせない。
そこら中に自生してるのに・・・。
そこら辺が今年の課題です。
有り難いことに自生してる楮がはびこって困ってる地元の方が「売れるなら!」と栽培の名乗り上げてくれました
自分達が開墾した10年前に自生してた群生地の対岸であります。
彼は10年間見て来てたんだと思う・・・。
続けることの大事さを教えられました。ありがとう!
2017年01月16日
白皮完了。
若山楮「へぐり」作業完了しました。
12月頭に刈り取り開始して、一気にへぐりまでを連続しての、かなりキツイ段取りでした。
10年前に開墾して9年前に初めて蒸し剥ぎという作業をする地域の人達にいきなりイベントにまで仕立てたので、てんやわんや状態。
昨年から・・・。
だいぶ慣れたなあって思ったし、体験者へ教えるコツも掴んで来た皆。
助成金のおかげでここまで来れた。
なかったら間違いなく頓挫してたので、有り難いが現実の作業では邪魔なことも多かったんで、報告の義務も終了していよいよ自活の道。
これは私に取っては整理整頓できる大事な段階。
無数にあった余計な作業を全部すっとばしたらどうなるんだろう?というのが今回でした。
今日はあえて写真はありません。
毎年同じ写真ばっかりになるもんな(笑)
やってることは毎年寸分違わず同じです。
ただし、関わってる人達のモチベーションは毎年どんどん変わる。
それは写真ではよう捉えられない。
「おはようございます」と言ってた私が「おはよーさん」になった。
「それはいかん!わしがやる!」と私の頭叩くおんちゃんになった。
そういうの写真撮れないのよな。
この間、本場土佐市の大きな原料商さんが来られて驚いてました。
「白皮がこの1月早々に仕上がってるなんて、ここだけよ」と。
これには理由がありますねん。
地域の年配者でやってますが、どなたも自分の田畑山持ち。
若山楮は中山間で黒潮町の中でも比較的米農家さんは遅い方。
それでも南国なんで2月には田畑が始まります。
だから2月までに終えないと高齢者でさえ来てくれなくなる。
楮は儲からない。
「農閑期」の暇つぶしみたいな仕事であることは昔から同じ。
そこが、雪深い地域や田んぼやってない地域との違いかも。
なのでひと月で全部終わらせる、地域の暇人総動員してでも終わらせる。家に籠ってテレビ見てる80代来させる
大所帯だから一人一人の賃金はしれたもん。
ならば、せめて「このひと月が愉しかった、日頃入らなかった情報が得られた、若い人が沢山来て若返った」
そういうお金とは別の「付加値」が作業上に乗らないと誰もやらない。これとても大事。
商品に付加値ってのはあるけど、それを作る人への付加値大事。
なんか、こうやって書いても「地域起こしのテクニック」みたいになっちゃうのだけど(笑)
じゃーないんよね。うまく描けない自分が悩ましいのでもある。
お金も大事だけど、やって良かったという何かがなかったら誰もやらんと心底判ったし嬉しい。
酒には強いという自負があったが。。。
最初の頃呑み倒しながらやってたら75歳が早朝の私の枕元で一升瓶持って「おはようさん、ま呑むか?」って。
どひゃーだった。。。
今年の作業が終わった後、「いやあ、ほんまに愉しかった。なんやろ?ここの雰囲気!」と言った人が居る。
干し芋、みかん、餅、漬け物、ぜんざい、羊羹そういうおやつ。
他の地域、県外からのみんなもお酒やお菓子。
挙げ句には「宴会」
相当量の仕事こなしながら、体験したいと来た人も「ちゃんとやれよ!」と怒られながらもやったものは納品分に入れられるし(笑)呑み潰れるし。
皆なんなの?なんなの?と言いながら毎年突っ走ってる。おかしい〜!
それが楮マジックなんだよね。
昔はどこの家でもじっちゃん、ばっちゃんから孫まで総動員でやってた仕事。
プロもアマもない。
うっかり遊びに行ったら手伝わされた仕事だった。
それをそのまんまやってるだけ。
だけど白皮を作るというのは「紙」により近づくのである。紙を想像出来る方へ近寄るのである。
細い1本の中にヤケやカビあれば綺麗に落として、より白く美しい楮になるようにと想う気持ち。
それが大所帯の皆に伝染していくんだな。
言葉でああしろ、こうしろというより互いの仕事ぶりへのリスペクト。
これが調和を産み出して、仕事に行くのが愉しい場となる。
かかわってくれた大勢の皆の手と気持ちとしては過去最高の原料となったと自負してます。
あとは物理的な問題だけ。
これは私が頑張る。
紙漉が作る原料だということへの自信がやっと産まれた10年目。
そして新しい作業場が完成すれば間違いなく「紙」への意識に繋がって行く。
お互いを大事にする家族と同じ気持ちでやっていく。
10年かかったけど、意外と早かった。
5年目あたりが一番きつかった。
何がきついって、ぶれまくってる自分が定まらないきつさ。
そんなことお構いなしに黒潮町がサポートし続けて大勢の人が面白がってくれて・・・。
自分のブレの降り幅が年々中心へ。
感謝してもしきれないです。
12月頭に刈り取り開始して、一気にへぐりまでを連続しての、かなりキツイ段取りでした。
10年前に開墾して9年前に初めて蒸し剥ぎという作業をする地域の人達にいきなりイベントにまで仕立てたので、てんやわんや状態。
昨年から・・・。
だいぶ慣れたなあって思ったし、体験者へ教えるコツも掴んで来た皆。
助成金のおかげでここまで来れた。
なかったら間違いなく頓挫してたので、有り難いが現実の作業では邪魔なことも多かったんで、報告の義務も終了していよいよ自活の道。
これは私に取っては整理整頓できる大事な段階。
無数にあった余計な作業を全部すっとばしたらどうなるんだろう?というのが今回でした。
今日はあえて写真はありません。
毎年同じ写真ばっかりになるもんな(笑)
やってることは毎年寸分違わず同じです。
ただし、関わってる人達のモチベーションは毎年どんどん変わる。
それは写真ではよう捉えられない。
「おはようございます」と言ってた私が「おはよーさん」になった。
「それはいかん!わしがやる!」と私の頭叩くおんちゃんになった。
そういうの写真撮れないのよな。
この間、本場土佐市の大きな原料商さんが来られて驚いてました。
「白皮がこの1月早々に仕上がってるなんて、ここだけよ」と。
これには理由がありますねん。
地域の年配者でやってますが、どなたも自分の田畑山持ち。
若山楮は中山間で黒潮町の中でも比較的米農家さんは遅い方。
それでも南国なんで2月には田畑が始まります。
だから2月までに終えないと高齢者でさえ来てくれなくなる。
楮は儲からない。
「農閑期」の暇つぶしみたいな仕事であることは昔から同じ。
そこが、雪深い地域や田んぼやってない地域との違いかも。
なのでひと月で全部終わらせる、地域の暇人総動員してでも終わらせる。家に籠ってテレビ見てる80代来させる
大所帯だから一人一人の賃金はしれたもん。
ならば、せめて「このひと月が愉しかった、日頃入らなかった情報が得られた、若い人が沢山来て若返った」
そういうお金とは別の「付加値」が作業上に乗らないと誰もやらない。これとても大事。
商品に付加値ってのはあるけど、それを作る人への付加値大事。
なんか、こうやって書いても「地域起こしのテクニック」みたいになっちゃうのだけど(笑)
じゃーないんよね。うまく描けない自分が悩ましいのでもある。
お金も大事だけど、やって良かったという何かがなかったら誰もやらんと心底判ったし嬉しい。
酒には強いという自負があったが。。。
最初の頃呑み倒しながらやってたら75歳が早朝の私の枕元で一升瓶持って「おはようさん、ま呑むか?」って。
どひゃーだった。。。
今年の作業が終わった後、「いやあ、ほんまに愉しかった。なんやろ?ここの雰囲気!」と言った人が居る。
干し芋、みかん、餅、漬け物、ぜんざい、羊羹そういうおやつ。
他の地域、県外からのみんなもお酒やお菓子。
挙げ句には「宴会」
相当量の仕事こなしながら、体験したいと来た人も「ちゃんとやれよ!」と怒られながらもやったものは納品分に入れられるし(笑)呑み潰れるし。
皆なんなの?なんなの?と言いながら毎年突っ走ってる。おかしい〜!
それが楮マジックなんだよね。
昔はどこの家でもじっちゃん、ばっちゃんから孫まで総動員でやってた仕事。
プロもアマもない。
うっかり遊びに行ったら手伝わされた仕事だった。
それをそのまんまやってるだけ。
だけど白皮を作るというのは「紙」により近づくのである。紙を想像出来る方へ近寄るのである。
細い1本の中にヤケやカビあれば綺麗に落として、より白く美しい楮になるようにと想う気持ち。
それが大所帯の皆に伝染していくんだな。
言葉でああしろ、こうしろというより互いの仕事ぶりへのリスペクト。
これが調和を産み出して、仕事に行くのが愉しい場となる。
かかわってくれた大勢の皆の手と気持ちとしては過去最高の原料となったと自負してます。
あとは物理的な問題だけ。
これは私が頑張る。
紙漉が作る原料だということへの自信がやっと産まれた10年目。
そして新しい作業場が完成すれば間違いなく「紙」への意識に繋がって行く。
お互いを大事にする家族と同じ気持ちでやっていく。
10年かかったけど、意外と早かった。
5年目あたりが一番きつかった。
何がきついって、ぶれまくってる自分が定まらないきつさ。
そんなことお構いなしに黒潮町がサポートし続けて大勢の人が面白がってくれて・・・。
自分のブレの降り幅が年々中心へ。
感謝してもしきれないです。