台風が通過中なのか、時折雨がざあっと降る。
湿度もかなりなものに。だが思った程のもんではなさそう。
あれだけ降られた夏だけど、田んぼへ通う山の中の川は所々流れが途切れるくらいに水量が減っている。
急斜面の山ばかりの高知は降れば溢れて降らねば枯れる川である。
溜め込むという事を知らないのかと思ったりもするけど、それはそのまま此処に暮らす人々の性格にも顕われているなとも思う。
平地が広く、彼方に大きな山を抱く雪国の里山は、冬に降った雪解け水とかそういう情緒がある。
高知にはそれがない(笑)
まさに冬は乾期なのである。雪に閉ざされることもないから、年がら年中食べ物はある。
ただし、雨が少なくなる。乾燥する時期にいくらかの保存食を作る、ほんとにいくらか・・・。
干しておいたら美味しくなるくらいの保存食。
まあ、保存というより嗜好品に近い。野菜の端境期に引っ張り出す程度だが、野菜がなくても山の物が沢山在るし
海はこれから美味しい色々が上がって来る。
基本食い詰めるということが無いのが高知ではないかと移住当時思った。
とにかくあちこちから来る物を捌いて調理して食べることの忙しいこと一年中。
自分は何もお返しできないと、ずっと思ってた。
米を作り始めれば「ちゃんと採れたか?米やるよ〜」である。
実際、田んぼやり始めてから自分の米採れなくてもお米買わずに来てます、ほんと。
だから、他の人が作ってなくて喜ばれる作物を作りたかった。
お金でやり取りするんではなくて、日頃食わせてもらってるお礼の作物。
これが真菰。
マコモタケを初収穫して自慢げにあちこちへ配達して、今日はおとなしく内職仕事。
午後、お客様。
この春に真菰の苗を掘り上げるのを手伝ってくれた若い友人がご両親と。
「家の真菰、こんなになりました!」と写真撮って来てた。
凄い〜家の真菰なんかこれに比べたらお粗末!
育てる人の波動だなあ。。。
そしてそういう人を育て上げたご両親はやっぱりでした。
帰った後の机の湯呑みの揃い方見て、成る程と。
今日は偶然にも自分の所作について考えてたのであります。
野良仕事が多く、いつも玄関泥だらけ。道具はあちこちに。生活は後回しなんで、とっちらかってる。
そんな中で紙仕事。。できるはずもない。
野良仕事はあくまでも下準備。本番は紙仕事です。
そこへきちんと向き合える日々のためにも、所作は大事と考えてた。身なりだって大事。
すれば友人のお母様が揃えた湯呑みに答えがあった。
いきなり全部は難しいけど、少しづつ整えていきたいと感じ入ったのであります。
気持ち的に余裕が出て来た証拠でもあります。
加工部屋を更に移動して動線を考え中。
無駄なく、作業目的にかなって、尚かつ。。。いきなりお客様が来ても恥ずかしくなく、美しい仕事場をば。
マコモタケが始まって、大量じゃないけど葉っぱも採れるので、それを乾燥させる場所も必要。
見事な葉っぱだけどマコモタケを生み始めた葉はやはり生き切ってる感じなので、これは紙にします。
今の所こんな感じです。
真菰の葉っぱが風とお話してる側で暦描き。
何やら守られてる感じがあって全部に目が行き届くというか、逆に私が癒されてる感じがある。
この先、もう腰が重たいのだけど。。。更なるステージが控えてて。。。
今、必要な物や事の整理真っただ中。
シンプルにして「一番」やりたかったことへ、どうしても行かざるを得ないらしい。
物を動かすだけでも面倒なのに、やらざるを得ないのです。
それは目に見えてる「物」だけじゃないんだと感じ入りながら。
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