なんで田んぼなんか?
最初は憧れから「お米作ってみたいなあ」だけだった。
なあ〜〜〜〜にも予備知識ないからこそ、知らないという無知だからこそ一線を越えてしまったのだ。
誰かの田んぼを手伝った事も数回しか無い全くの「ど素人」
親父が10年位前に。。。
「金にならん紙漉なんか辞めて、唯一家族で田舎暮らししてるのだから、米作れ!3世帯分の米作れ」
いきなり言った。
で、父ちゃんに「買うのか?それで一年食えるくらいのお金出すのか?」と呆れた(笑)
第一、「金にならん紙漉辞めて」というくだりに腸煮えくり返った。
「今に日本は米も手に入らなくなる時代が来る、お前の役割は米だ」無茶苦茶や・・・。
父ちゃん、疎開したとき米作りやったんか?
ただ、漠然とした「日本は戦時に戻る」という父ちゃんの言葉にはちょっと戦慄を覚えた。
数年後に、あの震災。
田んぼ始めた翌年だった。一回やってて良かった、でなければ尻込みしてたな。
父の田舎は新潟の妙高で叔父が役場の職員しながら田んぼを維持してた。
父が他界した年に妙高にお墓参り。私はえらい久し振りであった。
この叔父が「え?米作ってるの?ええええええ!!」と驚いた。
無農薬で耕せない(この時は偉そうに耕さないと言った)なら、こんな方法もあるよ。
ああ、自分の息子達も田んぼはやらないのに、クミちゃん米作ってるってええ!
興奮させ過ぎたのか?その年にポックリと逝ってしまった。。。。。
そりゃないよ〜。
元々昔の紙漉は冬に漉いて、春から夏はお米だったと聞く。
今でもそういう営みを続けてる所はある。
独身に戻ってから、居候も居なくなってから・・・・ひょんなことから田んぼ始まりました。
紙漉も百姓も家族という単位だからこそ・・なんだと気がついた時はズッポリハマってました。
大型機械のない、到底無理な女ばかりで始めた。
最初の3年はしまった!と後悔ばかりなれど、ジワジワとハマって行く自分。
紆余曲折、周囲が見かねて(笑)呆れ通り越して(爆)
今年、叩いてもらいました。
ご自身も相当にお忙しいのに、夕方代掻きまでしてくれて・・・
は・・・・早くて綺麗。
「今年は楽しい田植えになるぞ!」と爽やかな笑顔に、すっかり参りました。
やってくださった和也さんは役場の方。
ただでさえ、忙しい役場の仕事をこなしながら、実家の田んぼをこなしてる人が多い。
その上で、新しいこと、移住して来た人との繋がりも作って行くって。。。
超人的な人多いなあ、黒潮町。
今日ふと気がついた。。。
妙高の叔父は佐渡島のイベントの立ち上げした人やったんやなあ。
ああ、そういうことなんやなあ。
和也さんは黒潮町には無くてはならん人なんやなあ。
その人に田んぼ叩いてもらってるんやなあ・・・と想うと、何やら深いご縁を感じずにはいられん。
この集落は限界過疎なんだけど、皆さんお米作ってます。
今日も私の下の田んぼでは80越えのお父さんが飄々と田植え完了してました。
下2枚は深いということもあって、例年通り「アイガモン」で中を除草。
冷たい水をダダ漏れで入れてしまった昨年。
笹薮みたいになっており、例年の4倍時間がかかる(泣)
自分がやった結果が正しく自分に返って来るのが野良仕事。
今年の草取りは相当の覚悟です。
頑張って除草した所は「グリーンスムージー」状態。
アイガモンは言わば、ミキサーなんで、草を粉々にする。(亡くなった叔父の一声「便利なもんある」で知った)
なるべく気をつけてるけど、今日もカエル2匹とイモリ1匹とドジョウ1匹、沢ガニ1匹やっちまった。
芹がふんだんにあるし、なんかコレ呑んだら身体によさげなトロトロ状態です(笑)
稲の育ちは、何も入れてないので色が若干他より薄いですが、あと少しって所まで来ました。
楮の塵敷いた方は色が濃いのも判った。
来週から田植え始めるかなあ。
一方の楮畑もそろそろリミット来てます。
来週、今年初めての拳ノ川小学校の畑授業日。
こちらも来る前に歩く所は刈ってあげないと、小さい3年生は埋もれる(笑)
雨は田んぼ。
晴れは楮。
田んぼ6年目にして、やっと段取り掴めて来た。
2016年05月29日
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