2008年11月30日

冬来たりの大豊へ

高知で楮を栽培して紙を漉く者にとって、楮栽培のメッカであった大豊町の栽培農家を見ることは、絶対にせなあかんとこの16年ずっと思っていた。
しかし、自分も栽培してると作業時が同じ時期で、行けずに無念に思っていたのです。

今回、旧佐賀町で、かつての優良品種の楮栽培復活事業が始まり
とうに、やめてしまった蒸し剥ぎの道具である「蒸し桶」と「釜」の入手を懸念していました。
この蒸し桶は今では作ってる人がいませんので、古いのを捜すしかないのです。
地域支援員の方が調べてくれて
大豊町に、今は使われていない桶と釜があるという情報を掴みました。

「膳は急げ」と今日、行ってきたのです。
間で、地元のいろんな方々が関わってくださり
sれはもう、「ええ?こんな所に人が住んでるの?」というようなメチャクチャ標高の高い断崖絶壁にへばりつくような集落のまさに絶壁に・・・桶と釜が大事に保存されていました。
8年前まで、この絶壁に山の石で組み上げた竈に釜を置いて、桶を被せて楮を剥いで出荷してたそうです。
今はもう4軒しか残っていない。
半端やなく寒いところ。
蕎麦を栽培しながら、林業が主だった産業の大豊町。

山の岩は敷石みたいです。
竈に使うには川の石は割れるとか、もう、私にとっては涎モノの話が目の前で
実物を見ながら展開される・・・・
おそらく一晩中でも話せたでしょうね。

8年山を前に眺めて休んでいた桶と釜は来年、山を下りて旧佐賀町という暖かい海の近くの、それも温泉の横に引っ越しになるだろうな。
クレーンでないと上がらないし、道中壊れないように綿密な手当をしながら
再就職の旅になるかもです。
まさか、こんな運命が待ってたとは思いもよらなかったでしょうね(笑)

しかし・・・・ここはほんまに、ネパールそのものでした。
前世療法を受けて見たビジョンから友人が「それはネパールだから行け!」というた。
行けば、どこもかしこも高知に見えて外国に来てると思えるのは
人の衣装が違うのとヒマラヤでしたん・・・
街道や、建物、山や川、納屋の風情や人なつっこさはどれもそっくりだったことを
今日、大豊でデジャブしてる錯覚に。。

私の旅も延々と続いてるなら、道具も旅し始めた。
お引っ越しの時は、持ち主のおかあちゃんに、名前と日にちを墨書きして貰おうと思います。
見事な紅葉と、暖かい懐かしい人たちのもてなしと話で
ここんとこの疲れは吹っ飛びました!

改めて神様の采配の見事さに感謝の言葉もありませぬ。
良い、楮、そして良い紙、そして良い関係を作っていきたいとあらためて思うのでした。P1010019.JPG
posted by ハレハレ本舗 at 22:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
始めまして
太美吉と申します。
今日赤岡の冬の夏祭りで、竹墨入りの手漉き和紙
を買った者です。嬉しい縁が出来ました。
時々おじゃま致します、よろしくお願いいたします。
Posted by 太美吉 at 2008年12月07日 17:36
ありがとうございます。
あの紙どうやってお使いですか?ふふふ。
あまり頻繁に更新してませんが、またコメントくださいね。
Posted by みー at 2008年12月10日 19:06
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