2011年10月08日

近代所作と原始な所作

今日は朝練で、おばちゃんが「あんた紙漉なんだってねえ。偉いねえ」と言ってきた。偉いのか?紙漉って?
今日は若山楮でお世話になってる取り組みの「柚」の草刈りの日。
昨夜は深酒もせず、野菜たんまりの早い晩ご飯、しっかり準備して軽くヨガもして、寝た。
以前ならなし崩しに二日酔いでもこなせたが、もう無理。
おかげで、絶好調。


朝からやってる柚畑へ到着したのは11時。
一面見事な雑草!!
しかも、2〜3種類の雑草。楮畑と違ってやりやすいなあとやる気満々で___。

が見ると不思議な刈り方してる。淵だけなんよ・・・。
聞けば、除草剤が行き渡らない淵だけ刈ってくれと・・・。
「え?1日あればこれ全部借り倒せますが?」

「いやーこの間株周りを刈るだけで半日かかってしまって、全部やったら1日かかるから」
絶句・・・・。楮組はそれを通念やってきてる、やらせてる。
が・・・農家の常識はこれだったんだね。
午前中、除草剤散布の中、楮組の会長と私と御年88歳のおっちゃんが丁寧に草刈り。
中堅が除草剤。


その内の今春から参加してる若手の(笑)おっちゃんが、竈周りの草刈りに来た。
この温泉の敷地の斜面は実は楮がたんまりで・・・と・・・
なんで、若山楮復活になったかの経緯を話した。
取り組みが始まる前の春・・・。

今は転居してしまった、この地域を盛り上げたい熱い想いのおっちゃんと
当時、天国から真っ逆さまの私で温泉の斜面を開墾したのよと。
「え?ここを2人で?」
そう・・・他にも後日談のドラマはあるが、もう長すぎて(笑)
協議会の人はその斜面に関しては完全にスルーしてるので、私も言わずの4年間。

午前中、除草剤散布してたが、午後丁寧に草刈りして燃やしてる私と会長と一緒にやって(とても丁寧な仕事をなさると判った)
「ひょっとして、あれも楮か?これもか?」って。
なので、其処に立って「ぐるり360度、全部楮!」と言うと・・・



「この斜面、俺が楮畑にしたろ〜!わざわざ畑作るなんてアホやん。俺やるわ!」
「ほんま〜?楮部会は除草剤やらんけど?」


ということで、4年前の企みがひょんなことから実現しそう。
石の上にも三年ってよう言ったもんだよね。

ちなみに、力や気力が低空なのを会長には見破られた。
「うひゃひゃ!おまん、歳だよ歳!!」一際大きい声で言わなくてもいいのにさ。

女性の皆様。
40代はまさに黄金時代です。
50代、策が必要、受け入れることも必要、可愛いばあちゃんへの道のりですが・・・なめたらいかんぜよの心意気も必要。

「これが(私のこと)・・・除草剤は化学肥料はどうしったって使おうとしないので仕方なくやってきてますが」とは会長の言葉。
「それでいいんです!」とは買って下さる方の言葉。
そして、実際そういう作業に関わると気持ち好いみたいです。
当たり前だよね。
原始的かもしれないが、それがもう当然のことなんだ。
問題は「当然」のことでは済まない事がこれからやってくる。
人の五感、昔の作法でやればできうる自然界が確実にそうでは済まない事態になっていく。
高齢化、後継者不足がどうにか細々とながら維持できても・・・
次に来る波は想定外、初めてのことに向かわないといけないからだ。
今日草刈りを一緒にやっていて、世代間の温度を感じた。

会長が「まあ、それでも俺らが歳寄ってできなくなっていく。次があるんかのう」って。
それを一回り下の世代が「おう、やろうじゃん」って。
そして・・もう一回り下の世代の私は少し懐疑的になってしまった。
私が会長の歳になったとき、世界はどうなってるんだろうと。

何はともあれ、ニューフェースを原始時代の楮組へゲットしたもんね。
彼をワクワクさせるようなモチベーションへ雪崩れ込もう。
和紙の原料と言うことだけでは無い。
「原発のウソ」の小出先生が仰るように、今一度エネルギーの使い方を考える時期に来てる。それは農業の世界でも言えるのではないか?
少ない労働力で沢山の収益を上げるための機械、薬品でどっぷり借金、もしくは「お金の帳尻合わせること」に頭使うより。
身体使おうよ。
88歳のおんちゃんの草の刈り方は見事。そういうことができるのが人。
そこを学ばないと、もう戻れなくなってきてる。
若山楮は品種的に素晴らしい、だが、それをお世話する人の「意識」あってのことと思う。拡張できず、終わるかも知れない。
だが、作業を通じて感じて欲しいと思うのだ。
私は百姓ではないので、野菜や米では太刀打ちできない。
たかだが、10年くらいの都会から来た何も知らない門外漢である。
体力も無い。知識も無い。もっと儲かるやり方あるだろうな・・・と思う。
ごめんよ、若山楮という優れた品種をダメにするかもしれないとも思う。
誰かもっと適切な人が居るとも思う。私なんぞに任せていてはダメだとも思う。
が・・・今のところ仕方ないのだ。

風前の灯火は消えない、消さない。

紙の原料は片手間でいい。
しかし、食べるお米野菜などの作物の合間にお世話する作物という位置づけで楮となると全体の循環に意識がいかないと無理なのである。
そんなアナログな世界をもう一度やれるかなあ・・・。
田んぼしながら山の斜面の楮のために草加ってその草が転がって田んぼに落ちて肥料になる。
楮は落陽するからそれも肥料になる。そんな悠長な循環を人が戻すことができるかな?
高知は平地が少ない。
そういう「斜面」の営みがダイレクトに「川」へ注ぎ込む。

そこに鰻が居たり、その河口にふのりやアオサが息づく。
ほんとに大事にしないといけないし、感謝しないといけないなあと毎度草刈りという作業を通して感じる。
今でこそ、機械になったが・・・これ手刈りだった時代を・・・・自分も14年前は手刈り、鎌1本。思うと貨幣世界は無理。

だけどね・・・凄いええ草刈り斜面用鎌を作ってる所がある。
練習したら、機械より痒い所に手が届きそうな感じがする。

試して見たいなあとふつふつと思うのである。
作物育てるのはお金はたいて薬や機械買う前に優れた手作りの道具をちゃんとメンテできてそれを使える身体と日頃の暮らし方に尽きるんだろうなあと改めて思う。

早寝早起き、なるべく菜食、適度な刺激(笑)
お金使わないと出来得ない身体のこととか(病院通い、スポーツ、食べる事への拘り、無茶な禁欲、健康への投資、生命保険等等)
お金を使うということ事態がもうおかしいのかもしれない・・・と地面見て草刈ってたり引き抜いてると(刈ると抜くことも凄い違う世界なんだよ)ちょっと腹が笑い出していた。


posted by ハレハレ本舗 at 20:59| Comment(0) | TrackBack(1) | 楮栽培復活事業
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