2011年08月21日
居場所
日記という行為は、実は筋金入りです。40年近いキャリア。
書くという行為が前へ進む原動力ですから。
そして10年サイクルで全部燃やしてきたけどね(笑)
先日も燃やしそびれた一冊がふいに出てきて・・・
我ながらどんだけ、何も考えないで、その時その時「気持ちよい」流れに乗っかってきただけの半生だったかと・・・
大志を抱いたこともなく
いずれは老いることへの想像力もなく
これ誰が書いたの?バカかよ・・ってのが現在の心境ですわ。
さて居場所。
もう逢う度に「綺麗にせい!」といろんな人に言われてます。
何故なら・・・30代から40代ちょいまでは家はすごく綺麗だった。
庭は芝生フサフサでありとあらゆる花が咲き乱れ、野菜畑も見事でありとあらゆる珍しいハーブも。当時は楮は山狩りでした。
廊下や床はぬか袋で磨いてた。
今、このPCの机と寝室以外はほぼ全部作業場になってる。
まあ。。しいて言えばアトリエの中で寝起きしてるに等しい。
今も今日漉いた紙床のジャッキを少し圧上げて来た・・・。
ここんとこやりとりしてきた福島で希望に満ちて漉いてた紙漉の道具受け入れ。
経済的にゆとりがあって、時間も取れるなら手伝いに行くべきなのです。
時折、彼から来るメールを見ていて、想像を絶することしばしば。
膨大にやることが多い中、こっちで待つ嫁も半ば諦めて来た頃から・・・。
手伝いは・・・無理やなと思った。
彼の中で「高知では違う」とこの土地をあとにして福島で納得のいく「場所」を手に入れた瞬間の原発です。
紙漉という仕事の「場所」
それは代々の紙漉には判らない苦労が沢山ある。
一代紙漉と言われる、それも都会から移ってきた若い紙漉には目の前に永遠と続くかのようなハードルの列。
端折って簡単にしてしまえば新宿のビルでもできるとは思う。
まあ、それだけのバックボーンは必要。
そのバックボーンって何だろうってここ半年くらい、頭の中にずっとあった。
紙の本に依れば
同じ川でも左右の岸の紙漉は全く違う紙を漉いていたという記述がある。
それは山河を流れてくるルートの鉱物の違いで水が違うためなのだそうだ。
原料になる植物も、陽当たりや風の流れ、地質の違いで得ることが違ってくるし。
ここに、焼き物やってる方も居られるが、土ってほんとに違う。
昔は生まれて育って死ぬまでその土地で生きる中での手仕事があって
その場所故の特徴があって、使う側にもそれを必要としてきた背景があった。
今の時代は自分が作りたい「居場所」を捜すことが出来る。
逆に言うと、そうでないと「作る」意味を見いだせない。
先祖代々の紙漉を守る残り少ない方々の一方
この紙に魅せられて、仕事にしたくて漂泊する人は多い。
単に場所の問題から、自己の哲学に沿うことまで求める人も。
私は女性だったからか、運が良かったからか、ご先祖のお導きだったからか?
有り余る位恵まれてる居場所に居たことに今回ようやく気がついた案配。
一瞬、沖縄か?長野か?という選択もあったし、有難い申し出もあとを断たない。
なのに、動けないで居る・・・。
30日に福島から一切合切の独り紙漉の道具が来る。
その為のスタンバイは出来た。置き場所を作ることは簡単だ。
だが、その道具ひとつひとつを梱包してる彼の気持ちを思うと、居場所をこんな理不尽な形で奪われた怒りと失意はどれだけのものかと思う。
大事に育ててきた楮を切り倒した話し。
貴重な道具を梱包するために木箱作りからやってる話し。
のらりくらりながらも毎日紙仕事ができてる脳天気な私の元に、こんな壮絶な物が来る・・・。
私は石橋叩いて今の地を見つけた訳ではない。
たまたまなのだ・・・そのたまたまがずっと連鎖反応して「結構凄い」ことに
「たまたま」なってるだけなので、その有り難さが判ってない私に他の若い紙漉は言う。
「それで辞めたら罰あたります、すんごい罰あたるからね!!!!」って言われてる。
水のこと(来たときから2個の井戸)土地質、陽当たり。
そして沢山の人の助けの手。
何の根拠もないんだが・・・
福島から戻って、前向いて行けるよとだけは言えるような気がしてる。
長い長い居場所探しもこれで終わるといいねって。
そして改めて思うは・・・・
そうやって自分が生きる場所を定めたところへ、今回のような事は2度と起こって欲しくない。日本のどこにあっても。
今回、表には出ないが、福島の彼のような避難を余儀なくされた、捜して捜してここならと落ち着いた人々。
日本中でそういうことが起こっている。
そして踏みとどまるとか、そこに未来を見いだして新しいバイブを放つ人達もいるし、サポートする人も大勢居る。
アスファルトの薄い膜を除いたら直ぐしたには土があり水は流れてる。
人はそういう場所で生きてるんだなって。
そういう目線があれば、まだ未来は「生きる」という選択をするんじゃないかと。
へこんで、やる気ゼロだった私に喝入れてくれたのが
都会のど真ん中の方々と福島の彼だった。
多分・・道具が目の前に積み上げられて全てが明らかになるような気がする。
今は体力温存。
2011年04月16日
電気を買わないこと
あり得ない回数のしかも大きな余震が続いてます。
関東、東北のみんな本当に疲れ切ってると思います。震災の名前は東日本になったよね・・・。
ネイティブインディアンは自らの土地を西へ西へと追いやられていったとあります。
今の日本も西へ西へ。
福島の原発から80キロの所に居た友人家族は逃げるとき、日本中の原発からの安全な距離をコンパスで書いていくと
和歌山の熊野と沖縄しかないと知って愕然としたと言いました。
54基も建ってるということはこういうことです。
が、海洋に汚染物質を捨てた今、海に囲まれてる日本は何処へ行ってもいづれは逃げるところはなくなるのではないかとも言ってました。
地震だっていつどこで起こっても不思議はない日本です。
若い人が高知へ逃げてきても「ここだって南海沖地震の確立は高くなっていて伊方がいるから」と申し訳ない気持ちで一杯です。
今日は田んぼの仲間であり、海市仲間であり、アーティストのあやのちゃんが自宅開放で立ち上げた「原発問題を考える」勉強会の2回目。
このことを風化させたくないという趣旨は当たっていました。
各地の知事選や県会議員選挙の結果に信じられない想いと、だから54基も建ってしまったんだということを改めてつきつけられた感じです。
今日の勉強会に、福島で電気ガス水道を使わない暮らしをしてきた人と原発に以前関わってた人が来て話してくれました。
地元からは窪川原発誘致を潰した人も。
元々この集まりは近所のおばちゃんとかネットを見られない人と繋がっていこうという物だったのが
2回目ですでにインパクトの強い人達が集まりだしたこと、関心の強い人達がやっぱり集まってくることを痛感。
もう、やっぱりという感じ。
節電という感覚も一般大衆の人のそれとは根本的に違う。
そして今現在の福島原発の状況はやはり世間に流れてる情報とはだいぶ温度差があること。(控えめに表現してます笑)
彼等が結論として言いました。
「電気を買うことを辞めていくしかない」そのための自然エネルギーをどうやって実際に使っていくか、取得していくか?
こういう話しになると必ず出てくる「代替え案」はあるのかという質問。
グリンピースのメールマガジンでとある学者が言い切ってた。原発なくても充分電力はあるから大丈夫というと「代替え案」はあるのかと言われる。「無いです」と答えると無責任だと言われる。
だが、今あなたが座ってる心地よい椅子はいつ爆発するか判らない椅子だとしよう。
「これと同じ安全な心地よい椅子を持ってきてくれたら今の椅子は手放そう」その直後に爆発するかもしれない椅子に座りながら言ってるのと同じ。
代替え案はその椅子から離れること。
今日の話しもそうでした。
不便になります。それでも電気を買わないという方向へ行かなければいけない。
都会ではすぐ実行するのは難しい。が、この辺りのこういうコミュニティーから始めることは可能です。
太陽光発電について今ひとつしっくり来なかったことが今日やっと腹に収まった。
高いソーラーパネル。檮原などはかなり進んでいて助成金も多分県下一出るのになんで普及しないの?でした。
これは蓄電できないの。で日中使い切れない電気は送電線使って「売る」ことができるけど
雨が続いたりすると「買う」システムなんです。すんません。友人に太陽光やってる人が沢山いたにも関わらずこんな簡単なことすら知らなかった。
蓄電できる太陽光発電は使える電気は限られてくるんですね。
他にも一杯目玉飛び出る話しが聞けました。
自給生活してきた彼はそれでも電気は必要だからソーラーで賄ってましたと。
絞りに絞って電気が欲しい物。
小さい冷蔵庫、洗濯機(赤ちゃんいれば布おむつなので)井戸水を汲み上げるポンプ、照明(ランプだけどしんどいって)
これを太陽光発電で蓄電して賄っていたと。
火力は全て薪。
水は自ら井戸を掘った。
私は今井戸水2本。生活と紙漉。生活の方は飲料だからちゃんとしたポンプ。数年前壊れて新しいの捜したらこの辺りのホームセンターでは売ってた。紙漉の方は汚水ポンプで充分。
どちらも運良く「あった」んです。
8歳の時母がいきなり広島の山奥へ私と弟連れて引っ越したとき、村の井戸掘り名人が井戸を掘った。水道なんかなかったので。
が一個目が出なくて母は毎日バケツで何往復もして水を運んだ結果腰を痛めた。
2個目がやっと出たときは涙がでた。毎日掘ってる所をへばりついて見てました。
そういう経験があるので、今井戸水で暮らせてることは絶対に手放したくない。
洗濯機は子供もおらんからなんとかなる。冷蔵庫は万年、大所帯なんだが独身用の小さいので来てます。
照明は・・・老眼来て、電球だとムカデ出るしで蛍光灯。
昨年の春から電気代高くてしんどいから工房の業務用冷蔵庫辞めたら月に4000円近く浮いて継続中。夏の紙漉をどうしたもんかなんですが・・・かなり大変ではある。
火力は風呂と紙の煮塾は薪。独りなら最初の頃のように七輪と火鉢でOKだしいざとなればおくどさんですね。
温水器が直ったので薪の消費量が断然違ってくる。
エアコンはもうこの18年使ってません。冬の暖房は薪ストーブにシフトする予定でした。
今日の話し聞いててかなりすんなり移行できそうだなと。
耳が悪くてテレビも18年間民放は見てない。無しでも平気。実際震災後4日立て続けに見て辞めてます。
年寄って12時過ぎまで起きてられなくなったし(笑)
近くに携帯の電柱建ってしんどいこともあり、家中の床が抜け始めたこともあり・・・
いよいよ全体的な見直しの良いチャンスかもしれない。
昨年から始まった田んぼ。
今日の彼が「お金があっても食料が買えない時代が来る。」この言葉父が5年くらい前から言ってた。
「お前金にならん紙なんかやめて、家族のために米作れ」って。
本当に作って送ったら腰抜かしたけど(笑)
電気の話しとこっからの田んぼ作業の打ち合わせと帰ってきてから残りの紙漉いて、温水器からの風呂に入って・・・
あとはビールの自給と辞められない好きな煙草の自給じゃな。
電気買わずに暮らせる予感。そういう強い助っ人が福島からやってきた。引き寄せの法則は見事に作動してます。
明日、手打ちうどんの「ほうばい」で鎌仲監督の初期のドキュメントと彼等の話が聞けるようです。
http://butch1970.blog123.fc2.com/blog-entry-223.html(一番最近のほうばいじゃな。ふのりてんぷらうまいっす)
そして高知でもデモやります。
「原発のない日本へ」高知で行進。http://amanogawa314.jugem.jp/
四国は島。各地で特に大きな都会でどんどん始まってるデモを指くわえてたみんなお待たせです。
この前に4/24松山でも。「原発さよなら四国ネットワーク」http://genpatsu-sayonara.net/是非伊方原発即時停止に署名してね。
日本で2番目に古い古老の原発さん、今までご苦労様、安らかに永眠を。此処に何かあったら8万年という負の遺産しか残さない。
やれるところから、やれる人からシフトしていこう。
関東、東北のみんな本当に疲れ切ってると思います。震災の名前は東日本になったよね・・・。
ネイティブインディアンは自らの土地を西へ西へと追いやられていったとあります。
今の日本も西へ西へ。
福島の原発から80キロの所に居た友人家族は逃げるとき、日本中の原発からの安全な距離をコンパスで書いていくと
和歌山の熊野と沖縄しかないと知って愕然としたと言いました。
54基も建ってるということはこういうことです。
が、海洋に汚染物質を捨てた今、海に囲まれてる日本は何処へ行ってもいづれは逃げるところはなくなるのではないかとも言ってました。
地震だっていつどこで起こっても不思議はない日本です。
若い人が高知へ逃げてきても「ここだって南海沖地震の確立は高くなっていて伊方がいるから」と申し訳ない気持ちで一杯です。
今日は田んぼの仲間であり、海市仲間であり、アーティストのあやのちゃんが自宅開放で立ち上げた「原発問題を考える」勉強会の2回目。
このことを風化させたくないという趣旨は当たっていました。
各地の知事選や県会議員選挙の結果に信じられない想いと、だから54基も建ってしまったんだということを改めてつきつけられた感じです。
今日の勉強会に、福島で電気ガス水道を使わない暮らしをしてきた人と原発に以前関わってた人が来て話してくれました。
地元からは窪川原発誘致を潰した人も。
元々この集まりは近所のおばちゃんとかネットを見られない人と繋がっていこうという物だったのが
2回目ですでにインパクトの強い人達が集まりだしたこと、関心の強い人達がやっぱり集まってくることを痛感。
もう、やっぱりという感じ。
節電という感覚も一般大衆の人のそれとは根本的に違う。
そして今現在の福島原発の状況はやはり世間に流れてる情報とはだいぶ温度差があること。(控えめに表現してます笑)
彼等が結論として言いました。
「電気を買うことを辞めていくしかない」そのための自然エネルギーをどうやって実際に使っていくか、取得していくか?
こういう話しになると必ず出てくる「代替え案」はあるのかという質問。
グリンピースのメールマガジンでとある学者が言い切ってた。原発なくても充分電力はあるから大丈夫というと「代替え案」はあるのかと言われる。「無いです」と答えると無責任だと言われる。
だが、今あなたが座ってる心地よい椅子はいつ爆発するか判らない椅子だとしよう。
「これと同じ安全な心地よい椅子を持ってきてくれたら今の椅子は手放そう」その直後に爆発するかもしれない椅子に座りながら言ってるのと同じ。
代替え案はその椅子から離れること。
今日の話しもそうでした。
不便になります。それでも電気を買わないという方向へ行かなければいけない。
都会ではすぐ実行するのは難しい。が、この辺りのこういうコミュニティーから始めることは可能です。
太陽光発電について今ひとつしっくり来なかったことが今日やっと腹に収まった。
高いソーラーパネル。檮原などはかなり進んでいて助成金も多分県下一出るのになんで普及しないの?でした。
これは蓄電できないの。で日中使い切れない電気は送電線使って「売る」ことができるけど
雨が続いたりすると「買う」システムなんです。すんません。友人に太陽光やってる人が沢山いたにも関わらずこんな簡単なことすら知らなかった。
蓄電できる太陽光発電は使える電気は限られてくるんですね。
他にも一杯目玉飛び出る話しが聞けました。
自給生活してきた彼はそれでも電気は必要だからソーラーで賄ってましたと。
絞りに絞って電気が欲しい物。
小さい冷蔵庫、洗濯機(赤ちゃんいれば布おむつなので)井戸水を汲み上げるポンプ、照明(ランプだけどしんどいって)
これを太陽光発電で蓄電して賄っていたと。
火力は全て薪。
水は自ら井戸を掘った。
私は今井戸水2本。生活と紙漉。生活の方は飲料だからちゃんとしたポンプ。数年前壊れて新しいの捜したらこの辺りのホームセンターでは売ってた。紙漉の方は汚水ポンプで充分。
どちらも運良く「あった」んです。
8歳の時母がいきなり広島の山奥へ私と弟連れて引っ越したとき、村の井戸掘り名人が井戸を掘った。水道なんかなかったので。
が一個目が出なくて母は毎日バケツで何往復もして水を運んだ結果腰を痛めた。
2個目がやっと出たときは涙がでた。毎日掘ってる所をへばりついて見てました。
そういう経験があるので、今井戸水で暮らせてることは絶対に手放したくない。
洗濯機は子供もおらんからなんとかなる。冷蔵庫は万年、大所帯なんだが独身用の小さいので来てます。
照明は・・・老眼来て、電球だとムカデ出るしで蛍光灯。
昨年の春から電気代高くてしんどいから工房の業務用冷蔵庫辞めたら月に4000円近く浮いて継続中。夏の紙漉をどうしたもんかなんですが・・・かなり大変ではある。
火力は風呂と紙の煮塾は薪。独りなら最初の頃のように七輪と火鉢でOKだしいざとなればおくどさんですね。
温水器が直ったので薪の消費量が断然違ってくる。
エアコンはもうこの18年使ってません。冬の暖房は薪ストーブにシフトする予定でした。
今日の話し聞いててかなりすんなり移行できそうだなと。
耳が悪くてテレビも18年間民放は見てない。無しでも平気。実際震災後4日立て続けに見て辞めてます。
年寄って12時過ぎまで起きてられなくなったし(笑)
近くに携帯の電柱建ってしんどいこともあり、家中の床が抜け始めたこともあり・・・
いよいよ全体的な見直しの良いチャンスかもしれない。
昨年から始まった田んぼ。
今日の彼が「お金があっても食料が買えない時代が来る。」この言葉父が5年くらい前から言ってた。
「お前金にならん紙なんかやめて、家族のために米作れ」って。
本当に作って送ったら腰抜かしたけど(笑)
電気の話しとこっからの田んぼ作業の打ち合わせと帰ってきてから残りの紙漉いて、温水器からの風呂に入って・・・
あとはビールの自給と辞められない好きな煙草の自給じゃな。
電気買わずに暮らせる予感。そういう強い助っ人が福島からやってきた。引き寄せの法則は見事に作動してます。
明日、手打ちうどんの「ほうばい」で鎌仲監督の初期のドキュメントと彼等の話が聞けるようです。
http://butch1970.blog123.fc2.com/blog-entry-223.html(一番最近のほうばいじゃな。ふのりてんぷらうまいっす)
そして高知でもデモやります。
「原発のない日本へ」高知で行進。http://amanogawa314.jugem.jp/
四国は島。各地で特に大きな都会でどんどん始まってるデモを指くわえてたみんなお待たせです。
この前に4/24松山でも。「原発さよなら四国ネットワーク」http://genpatsu-sayonara.net/是非伊方原発即時停止に署名してね。
日本で2番目に古い古老の原発さん、今までご苦労様、安らかに永眠を。此処に何かあったら8万年という負の遺産しか残さない。
やれるところから、やれる人からシフトしていこう。