2013年01月04日

初仕事

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若山楮の初仕事は「へぐり」から。
昨年倍の時間をかけて丁寧にちり落とししながら剥いだ楮。
年末から水に漬けておき、今日からへぐりと言って甘皮から一気に包丁で削り取る作業です。
若山楮は室内でやるので、、、、あったかい。。。「暑すぎるぞ!」と本年一発目の喝。。。
冷たくて神経使うからわかるんだけどね。
暑いと皮が乾いちゃうのですからいけません。。。

蒸し剥ぎまでは経験ありのスタッフもここから先は未経験。
全てに於いて未経験もひとりというわけで、温い部屋での作業は割と順調。

さ〜〜〜〜川で洗いますよ〜〜〜おほほ〜〜〜。
知ってるおばちゃんは着膨れぬいぐるみになりました。さすが。
他の2人は何が何だか。。

こうやって〜ざばざばと勢い良く洗って〜束ねて〜
終わる頃、顔が硬直、あまりの寒さと冷たさに睡魔が襲ってるようでした。どーしたん?眠そうだけど?と言っても笑うのがやっとみたい。
がはは〜。やっとこの春からやってきて勝った!
何を言っても大丈夫です!が本日出なかったもん!

指先しびれて痛いのなんの。。。

しかし、綺麗な仕上がり。
そしてこの4年うまく水が染み込んでくれなかったのも「やっぱり」クリアー。
おそらく10日から来るみんなは、あまりのやりやすさに笑いが止まらないはずです。
新人は、、、おそらく今夜考えてるでしょうね。。。どうやったら「楽」できるかと。ぐふふ。

今年はハイピッチかつ素晴らしい出来高になることを確信して大喜びしてるのは。。。私だけの幕開けとなりました。
最後の最後まで極上一直線です。

一方自分の工房では明日から始める紙漉のために楮を水入れ。
年明けから紙漉を始められる喜び!です。
勿論注文在ってのことです。でなければ私もストーブなんぞない寒い工房でへぐりですから。。。

今宵はいよいよ寒いですね。。。
南国高知だけど、実家と違ってすきま風だらけですから、ほとんど屋外ですよ。。。
そんなこんなのうちに春は来ちゃいますからね。
寒い冬に漉くという極楽を堪能したいもんです。

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2012年12月22日

若山楮2012終了

予報では雨、どうにもこうにも雨。
それでも生仕事の楮は刈り取ったからには嵐でもやる。。。
かなり覚悟しました。

が。。。まず前日の練習日4時に外へ出ると生暖かい。。。星が出てる。。。
此処数年、雪だ、寒風だで、かなりの防寒対策してたのですが、暑い。。。。
冷えきってる竃や蒸し桶が温まるだけでも相当に時間がかかるので、とにかく火を入れる。
例年なら4時間はかかるというのに、今年は3時間かからずに蒸し上がってしまいました。

それもこれも本番に幡多地域で最近凄いフラチームが踊ることになってたのもあるかなと。
雨の中では踊れないし、寒いよねえとみんな心配してたんですが。。。

伝統的な古典フラを学ぶ面々。
蒸し剥ぎした楮のおがらを使ってフラの古典の踊りをしてくれることになってました。

蚊が飛ぶほど暖かい見事な天気の中、体験のはずの蒸し剥ぎにチームがはまり、プロも顔負けの分業作業まで確立しちゃった。
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スタッフが「凄いです。もうプロですよ」と言いにきましたわ。
そしてドロドロ、チリまみれだったのに衣装を着て剥いだおがらを使っての踊りは見事でした。
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日頃、何かと一緒する機会の多い、むーちゃん。
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冗談で言った私の戯言をほんまにしてくれた。

実は今回参加してくれたお店やフラダンサーみんな一人一人にドラマがあって書きたい事が沢山あります。
またゆっくりアップしていくね。

職人テントではこのあとのヘグリもこなすようになったおばちゃんが
青年に手ほどきしたり
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白皮にまでできるようになった皆の手元は見事で素晴らしい。
昨年まで出来得なかった全員が同じ質の仕事をするということが今年完璧になりました。
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火番を任せられる青年が2人できたので、私はテントへ入れた。初めてです、4年目にして。
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書きたい事はまだ山のようにあります。
写真も沢山あります。
今回の写真は学生時代同期で、こっちへ来てから知り合ったカメラマンの友人のもの。
彼は伊野町で生まれ、幼い頃楮の色々を手伝ったことがある。
今回雑誌の取材で写真を頼んだのです。
まさか、こんな巡り合わせになるとは思わなかったよね(笑)
20代に東京ではぜてた私達がこの高知の西の端っこで「楮」にまつわる事で一緒してるなんてねえ。

此処に楮が野良生えしてるおかげで今の私の紙漉があります。
そして続けてこれたのは意外と県外からの移住者やUターンのみんなのサポートあってのこと。
そして、それらを繋げてくれてるのが地元の方々なのです。

楮への感謝の気持ちで始めたことなんですが、やはり人の力だと思いました。

その最たるドラマが実はあったのです。
続きはまた後ほど。

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2012年12月03日

神様の計らい

若山楮が収穫前の一息つける頃の11月。
私は紙漉本番に入り、若山をスタッフに任せて、出来得なかった紙漉に突入。
漉いて干し終わる頃。。。

お世話になった親方の訃報が入りました。
高知で唯一、紙漉を習いたい若い人を自腹で受け入れ続けた親方でした。
84歳まで漉き続け、80歳の時から「楮も作るべき」と言い出した。
91歳でなくなるまで、ずっと紙を触り続けた親方でした。

「2000年紀和紙総鑑」という全国の紙をサンプルで網羅したものがやっと発刊されて、その案内が届いた日でもありました。
12年という時間がかかったこの本には駆け出しの私も参加させて頂き
親方の幾つもある紙の中からも選ばれて納められています。

若山楮に今年スタッフとして入った芳賀君はこの親方の元で廃業なさるまで働いた最後の弟子です。
廃業したので、彼は福島に永住の覚悟で移住しました。
そして震災、原発事故。
取るもの取りあえず、避難してきて、隣町にひとまず着地。
行き詰まっていた若山楮に災害避難者優先雇用の事業の話しが来ました。
楮を育てて紙を漉くということができる紙漉はそんなに多くありません。

そして、2人でやってるよ、縁て不思議な物ですねとご報告に行くはずの数日の最中に。。。
何時まで経っても来ない私たち2人を呼びつける様なお葬式でした。
親方が呼び戻し、楮の復活に呼んだとしか思えないのです。

お葬式でご遺族の息子さんが「後継者育成に力をいれてきて、今数人が紙を漉き続けてることを大変喜んでおりました」と挨拶の中で話されました。
お弟子の中にお寺が実家の人が居て、大事な親方の家での訃報を迅速に連絡してくれるので、私達は知り得て集う事ができています。
ご自分の跡継ぎは考えておらず、「ここで学んだ事を生かしてどこかで紙を漉き続けてくれたら本望じゃ」という親方でした。
久しぶりに集まった弟子達は皆土佐で漉いたり関わっている事になった今年です。
見事な計らいとしか思えません。

あの世はまこと見晴らしが良い場所です。
自分達が考えてる事もお見通しになってしまいます。
親方が見てると思うと、自分の事だけで判断してはいけないなとか思ったりしてしまいます(笑)
誤摩化しが通用しなくなります。

今年右腕以上の働きをしてくれてる若山楮の芳賀君が書いたブログです
http://blog.goo.ne.jp/wakayamakouzo
感じてる事は同じだなと思います。
愛弟子のお一人は紙漉は辞めたのですが、久しぶりにお会いしたら「簀のひご作りを始めています」とおっしゃった。
個性の強い、頑固で変人ばかりの弟子達でしたが、それぞれに紙に携わる生き方から離れることができないようです。
寡黙で一途で頑固で優しかった親方の気性をも受け継いだのでしょうか。。。
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2012年09月17日

年末収穫の日程

今年の楮の収穫作業の日程を「予定」しました。
先日のイベントで沢山のお客様に告知しないとおお!と焦って出しました。
今年で4回目。
大勢の手が欲しいので日曜日をメインにするとなると否が応でも日程は決まって来ます(笑)

2012年12月9日(日)  楮刈り。場所は佐賀北部のあちこちとなります。集合場所や時間はまた告知します。
     12月16日(日) 楮の蒸し剥ぎ。旧佐賀町の佐賀温泉「こぶしの里」にて9時開始。マーケットも出て賑やかに。


詳しいことは決まり次第アップしていきます。
若山楮のブログ「かみになる木のせわ日記」もチェックしててくださいね。
この作業、普通は紙漉や栽培農家のある山奥で行われるのですが、私達は少しでも多くの人に参加してもらいたいのと目立ちたいのと(笑)
国道脇でこんな伝統作業をやってます、、。あり得ないよなあ、、、。
しかも温泉の敷地です!
ドロドロになっても温泉に入れる!遠方から来ても泊まりながらできる!

2009年に初めてやった時の刈り取りのブログです。
http://blog.hale-hale.com/article/34167431.html
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2012年08月26日

家庭訪問 家庭訪問

インドネシアな高知から残暑お見舞い申し上げます。

ほんとに毎日毎日短時間でバケツひっくり返した様な雨が何度も降る高知です。
長くは降らないので、しかもカンカンにお日様出ても降るので、地面が乾く暇がない。
朝夕は涼しくなって来たので少し楽になりましたが、日中はスチームサウナです。
それが8月はず〜〜〜〜っと。
百姓するみんなはええ加減うんざりです。

しかし、唯一これのおかげで捗った仕事があります。

若山楮は栽培のみならず、これから楮を育ててくれる栽培者を増やすのも今年の大事な目標です。
今年度だけ若手を雇う事ができ、1年間集中してテコ入れできます。
しかし、来年からはいよいよ自力でやらないといけなくなります。
なので、新しく開墾する所は地域の人の目につく場所をやりました。
国道脇なんかまさにそれです。

というわけで先週は佐賀北部地域協議会の8地区を全戸訪問して作ってください!というアピールをして回りました。
晴れてると家はもぬけの殻。
ところがこのスコールのおかげで、降ると家に戻って来る人が多いのです。
そこを捕まえて説得(笑)

200軒近く回りました。
5年近く通って来た若山楮ですが、こんなにどっぷりと入り込んだのは初めて。
あらためて、高齢化の問題に行き当たります。
自分がみなさんの年齢に成る頃、どうなってるんだろうって。。。

獣害の問題も年々倍々になってきてます。
日本の田舎はどうなっていくの??

ただでさえ、年寄りばかりなのに、獣の被害と戦ってるのに、そんな地域に限って原発が建ってたりする。
みんな早寝早起き、山からの水や井戸だったり、エアコンフル稼働してる家なんかほとんどないです。
なのに原発はそういう地域に建つ。

高知にはないですが、愛媛の伊方原発にもし何かあれば、ここには放射能が3時間で到達すると言われています。
100キロ離れていても風向きの関係で松山と同じ時間内。

なんだか惨い事されてるんやなあという印象が頭から離れません。
このお年寄り達を誰が守ってくれるんだろう?って。

なのに更に私達はそんな腰が曲がってるお年寄り達に「楮作りませんか?」と罰当たりなことを言って回ってるのです。
だけど皆さん笑顔で「そりゃー昔はやったで!朝はようから夜中まで!あと10年若かったらやったるのになあ」と言ってくれます。
10年前に始めてたら今頃どんなになっていたか?

200軒中楮の事知らない家は5軒あるかないかでした。
ほんとに和紙の原料の懐だったんだというのを痛感。

楮だけで仕事として成り立つのは無理だけど、お米作って何か換金作物になる百姓しながら楮を作ってみたいという若い人来ませんか?
このまんまだと後に繋げる手だてがないです。
それは楮に限ったことではなく、お米作りでもみなさん「自分が辞めたらやるもんおらん」と。。。

楮を作る事は至って簡単です。
だが、作る人を育てる事は至難の業。別の才能が必要です。カリスマが欲しい!今日この頃です。

若山楮ブログアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/wakayamakouzo/e/2f07693e2f0df7c3d88d0b1122c133c8
写真は明日入ります。
posted by ハレハレ本舗 at 18:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 楮栽培復活事業

2012年05月22日

今年は春から凄いです

大変御無沙汰しております。
カメラ壊れて写真撮れず・・・
腰痛と足の痛みで更新おろそか〜

今年度は若山楮はスタッフが3名常駐です。
何をやってるかというと・・・・
いままでやりたくてできなかった所の大開墾。
黒潮町中心に「楮」「雁皮(がんぴ)」「三椏(みつまた)」の自生地調査。
地域の中で楮栽培をしてくれる人を募り、サポート。

そしてそして・・・この数年の願。ブログ!

福島で楮を栽培しながら紙漉していた元高知の人。
ずっとこの4年一緒にやってきた植物大好きなはちきんの女性。
事務局をたった一人で切り盛りして、この若山楮に取り憑かれたように頑張ってくれてる役場のおなご。
そして、今年埼玉から避難してきた多摩美出身のカメラマン。
彼の目線は初めてだらけで、とても新鮮です。
なぜか、修復の仕事にも携わっていたことがあり、私よりも専門知識があったりする。。。
その和紙がどうやって育ち、どうやってかみになっていくのかの現場に入ったわけです。

私のとお〜〜〜〜い祖先は愛媛の河野水軍でして・・・
高松の四国村という文化財の古民家を移築した公園があるのですが
そこに「愛媛の河野家」ちゅうのがありまして・・・・
その家の台所に・・・楮蒸しの桶がぶら下がっているのを10年前に見て、腰が抜けたです。
紙漉としては相も変わらず売れないのに、楮栽培に関しては辞めたくても次から次へとお助けばかりで辞められない・・・
ご先祖が蠢いてるとしか思えない。

今日の自生地調査もメンバーの親戚です。
聴けばえらい話しがてんこ盛り。
四国は「忌部」の地。
忌部は職人集団で、様々な手業を広めたと言われています。
中でも紙の技だったとも聞いてます。

とすると・・・私達は忌部の末裔として、ここに出逢ってるのかもしれません。

長くなりました。
こまめにスタッフの高橋が頑張ってブログをアップしています。
今日は雁皮情報です。
貴重な雁皮・・・・・。勝手に採らないでくださいね。
山菜もそうなんだけど、山のお世話をしてる人があってのものです。
イノシシや鹿や猿は仕方ないけど心ない人害はほんまに泣きたくなるので・・・・
アップしてもうたから仕方ないけど、ほんとに貴重な原料です。
そこら中に雑草の如く生えてる楮とは訳が違うです。

ということで・・・
かみになる木のせわ日記ご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/wakayamakouzo
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2012年05月09日

お久しぶりです

更新が後手になってました。

2月末から一気にいろんなことが堰を切った様に流れ出し・・・・。
酸欠金魚のように来るのを捌くのがやっとでした。

毎年恒例の高知城の「花回廊」での新作バージョンが冗談みたいな短い納期でそれをこなしてるうちに・・・
いつの間にか3月が終わり。
4月に入って更に更年期の私には過酷な態勢です。

4年、、、いや話しが持ち上がってからは5年目の中山間の取り組みの「若山楮」に新たな展開。
冗談だろう、冗談でもと藁にもすがる思いと担当の凄い頑張りが功を成して・・・
あり得ないのですが「採択されました。鼻血出そうです」と本人も言うように、失速するどころかスパイラルは上昇してしまった若山楮です。
ずっと思うのですが・・・・
まあ、やりたいし、これはええよとは思っていたし、ろくなことに税金使うならやらせてとも思ってたし。
だけど・・・・
和紙の世界は衰退路線から未だリベンジできてない中・・・
昨年の震災以降、揺るぎなかった自分でさえも「紙漉」とか言ってる場合ではないのではないかと迷走したのです。
まずは食料、次に経済。
平和な時だからこそ紙漉なんてへらへら言えてたのではないか?と・・・ちょっと10ヶ月ほどトチ狂い迷走しました。

おかげで身体壊しました。
更年期とダブルで生きてる意味すら判らなくなりました。
目が曇るとはよくぞ言ったもんです。全く視界が曇ってしまいました。

腰から来る「痛み」と一緒にやってきた「鼻血出そうな話し」とか
いきなりの大きな仕事とかそういういろんなことが神業のように滑り滑って今やっと整った所です。

そんじょそこいらに勝手に生えまくってる楮というのがこの地域の特徴。
だけどその特徴を生かすやり方の真逆をこの4年。

それが今年から「もう最期のてこ入れ」的な態勢で始まった。
新しい、全く新しいメンバーです。
震災で避難してきた若い家族が入っています。
しかもこれが、こんな辺境の地に来たにも関わらず、和紙の世界での関わりを強く持っていた人。
4年一緒にやってきた私と地域の中では一番元気なおばちゃんという4人です。

持続可能なコミュニティー。自然エネルギー。自給自足。ありとあらゆるキーワードが全部てんこ盛り。
一発花火なイベントではなく、確実に根付き具現化していく予感。

和紙の原料栽培のブログなんですが・・・
ネタ満載になると思います。
楮のお世話をしながら、山菜、田んぼ、地引の魚、原発のこと、子供のこと、介護のこと、、、
漁港、山、川に暮らし、赤ちゃんから長老まで。

ネタ満載です。
「かみの木のせわにっき」http://blog.goo.ne.jp/wakayamakouzo/e/85fc3c376075063a10298771b4383f09/#comment-form
タグ:高知 和紙
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2012年03月10日

本年度の作業完了

12月の刈り取りから始まって、蒸し剥ぎをして、へぐって、晒して・・・・。
どれだけ手をかけても自然の物であるが故に完璧、すなわち頭に描く完璧にには程遠いと思う連続した作業。
皆の気持ちが高揚してひとつになると天気さえも味方になる。
裏を返せば、ちょっとした緩み、誰かがやるじゃろーとか、チームワークにほころび出れば天気さえもそっぽ向く。
200%ちゃうん?というような前年度であった。
100年に一度と言われるような豊作の数年の後・・・・。
全ては人為的な引き寄せとしか思えない結果の今年。
最期の「選別」作業をしてきました。
そこには、大反省が多々。
確かに猛暑とか震災とか色々あり過ぎた年。
だけど・・・。

一言で言えば、あぐらかいてしまったなと。
モチベーションが急転落して失速してしまい、自分の事、家族の事でじたばたしてしまい、楮に集中できなかった事が全部結果として出てしまった。
大勢でやってることなので、リカバリーできるやろうと期待したが、そこまでのコミュニケーションは取れてなかった。
そういうこと含めて自分の中で大反省会の選別作業でした。


今朝、早朝バイトも辞めたのに4時に目が覚めて悶々。
寝れないから起き出して今日の作業のために書きだした。
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かなりの雨量の雨が降ってる。外の景色はけむってる。
部屋の中で墨の香りが低く沈殿していく。
春だなと感じる。
そうこうしてるうちに雨でもくっきりと明るさが入ってくるからやっぱり冬ではなく春になったんだと。
書いた札を持ってひとっ走り。
何はともあれ作った作物を出荷する体裁にする。


私は紙漉なので、体裁まで拘っていられない。中身がしっかりしていれば自分が作った原料だからどんどん使っていく。
だけど、原料を高いお金を出して使う立場なら、少しでも手間が省けるように。届いたとき「あーこれは丹精こもってる」という代物にしたいと思う。現に美しく整った原料からはけるという。
最期の最期まで神経を使い、「使っていただく」という気持ち。
紙漉を知らない人なら見落とすであろう、その後の作業でいかに気持ちよくできるかということについつい気持ちが入ってしまう。
自分がこれを買ってやるとしたら、「ここまで考えてくれてるのか、ありがとう」と言われる仕事にしたい。

その昔、目方でなんぼやった頃は束の中に石を入れて目方を誤魔化したなどという逸話もある。
そんなことを話しながら大所帯の中できっちり仕事する、私から見れば母と同じおばちゃんと一緒に今日一日。
彼女はとにかく丁寧で的確な仕事をする。
それは田んぼ、畑、山の仕事を旦那さんと長きに渡ってやって来た叡智。

「買ってくれる人にとっては最期の最期まできちんとやることが大事なんじゃ」
札をひとつだけ位置を間違えたら・・・写真撮るとき横へ外した。
納得がいかんという彼女の声なのだ。
そういうことが私は嬉しかった。そういうことを大事にしていくべきなんだとも思った。
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楮は昨年は全国的にも豊作ではなかった。
だけど、若山に於いては自分の気持ちから影響が出てる。
5年目にして少々油断したのだと思う。
誰かがやるというのはダメなんだ。
自分がやるという力が働かないとダメなんだ。


だけどパワーはまちがいなく下り坂。
そこをどうにかせなあかん。


ので・・・食えないからと昨年から走ったバイト辞めました。
それがどういう事になっていくか判らぬまま辞めた。

やっと本業一本。
迷走したこの10ヶ月で沢山学んだ。
20年ぶり位に普通の仕事、タイムカードであった。
辞めるその日、紙の注文が入った・・・

ようできてるなあ、バイトしてたらできなかったよと心の中で思い
「ありがとうございます!」と答えた。

楮栽培と紙漉。
一直線の先にほのかに見えてくるものがある。
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2012年01月12日

へぐり

始まっています、今年も。

年末に剥いだ楮を今度は水に浸けて柔らかく戻して外皮のあまがわから外を包丁で1本1本削り取る作業です。
蒸し剥ぎは火を使う作業。
へぐりは水の作業。しかも、このへぐりという作業はここらでは昔もやっていなかった「新しい」作業です。
本来は黒いまんまの原料を原料商が買い取って、紙漉を引退したおばちゃんやじっちゃん達の小遣い稼ぎにやってもらってた作業。
もしくは紙漉の家ではじいちゃんや婆ちゃん達の仕事。
へぐりとる歩合で紙の質も変わってくるので、大事な大事な作業。

これをやれる人がほんまに少なくなってきています。
いくら良い楮を作ってもこれができないと、良い原料とならない。
なので初年度から全くの素人の皆に練習してもらっています。

昨年からは近くの小学校の校長先生のご厚意で浅いプールを借りられるようになり、ここで水中漂泊、そう、晒しができるようになりました。
昔は川に晒したりしたようです。
私はもうそのような光景は見たことがありません。
なので苦肉の策。
水道代も校長先生が教育委員会へかけあってくださいました。

今年のスタートは割と温くて、「お!楽じゃん〜」でしたが・・・
本日、やっぱりがっつり凍りました。

なんせ高齢者の多い協議会。
それでも凍ってる中に入って作業してくれるのです。
長老も入りたがるのですが、心臓発作おこされたらいかんので、辞めさせています(笑)


今日はこのへぐり体験にここの小学生が来ました。
大人達と同じよ〜〜〜く切れる包丁でやらせます。
面白いように、剥がれると笑顔がこぼれます。
大人と違って、言うことを良く聞いて丁寧に神妙な顔つきでやります。
昨年は危ないかなと思い、スクレーパーを使わせたんですが、。。包丁でもちゃんとできる。

そして独特の洗い方をやってプールへ。
氷にはしゃいでいたけど、いざその中に私が入って手を突っ込んでやり始めると、皆硬直しちゃいました(笑)

それでも感想は「もっとやりたい!!!」でした。
もう1回やるようになるかも。

協議会の10人以上がこのへぐりができるようになってきて
地域の子供達も覚え始めました。

想ったより填ってくれるので、ほっとしてます。

毎年この時期の名物作業になっていって欲しいです。

メンバーも集まって一緒に作業しながらわいわいと賑やかだし、おばちゃんたちが毎日昼ご飯を賄ってくれてます。
とれとれの魚の魚飯とか、つみれのすまし汁とかお手製の漬け物や餅や、今日は赤飯まで。
一つ釜の飯を食う。。。。
休む間もなく手が動き、塩梅よくふやけてうまく剥がれるときは口も良く動く。
戻し加減が悪いと静まりかえって怒り出す(笑)

その日の天気や皮の厚みで、うまく戻してなんぼ・・・・頭の中を楮が泳いでる私です。
みんなのへぐるスピードが各段にあがってるので、頭の中は大変です。

やっと、やっとプロ集団になってきた!
専門用語が飛び交います。
「これ、やけだ!」そう木質化した赤い筋。これをちゃんと取り去ることができるようになってきました。

こんなに大所帯のへぐり集団に育つとは正直初年度には諦めモードでした。
ましてや本晒しになったら誰も来ないのではないか・・・と。

が、今日の子供達の「面白い!もっともっと」で結構はまりどころなのかもしれないなって。


外で洗ってるとき蛇口で血を流してる子がいて「うわ!指切ったか!?」と駆け寄ると・・・
「へへへ・・鼻血です」と、力抜けたわよ・・・。
鼻にテッシュ詰めて、しっかり洗ってました。


追伸

コメントありがとう、栗坊さんと和紙Comさん。
なんせ、毎日これでして・・時間出来たらゆっくり返信しますね〜
毎朝4時半起きであれやこれやを走り回っておりまする・・・・。本日ももう寝る時間ですわ・・・
posted by ハレハレ本舗 at 19:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 楮栽培復活事業

2011年12月13日

若山楮刈り取り終了

3日間にわたる刈り取りが終わりました。

野生の本能と申しましょうか・・・・
収穫すること、それも山や河原という場所なので、畑や田んぼ、ましてやビニールハウスとかとは全く趣が異なります。
山菜採りと似てるからなのか、人間の方も動物みたいになりますね。
今年は大方高校の先生が試験中の生徒の代わりに来て下さり、1日がっつりやってくれたり
地元の小学生10人が来てやってくれました。

葦船で外洋後悔をするじんちゃんに教えられた「チチカカ湖民族のロープワーク」で束ねることを必ず伝えています。
大人より子供の方が呑み込みが早い。
「これ、お母さんに教えたろー」と頑張ってやってくれました。

本番は週末18日ですが
昨夜忘年会。

いやーもう盛り上がりましたね。
会長が唄うなんて・・・・目が点になりました。
そして、とあるおっちゃんには「こんなことになってくれて俺は嬉しい」と泣かれました。
80代の長老とは化学肥料、除草剤はあかん!!と激しく合意(笑)

本番前からこんなに盛り上がって大丈夫じゃろか・・・。

この若山楮を愛して絶対にやり遂げるという強い意志を保ち
自分のためなんかじゃない、この地域が元気になってくれるとこが望みであると言う役場の推進室のひとみちゃんあってのこと。
昨夜はその想いに釣られ泣きしました。
ほんとにありがとう。

最後に一本締めまでやはり出まして・・・。

本番に雪崩れ込みです。


自分の紙仕事も平行してかなり怒濤(笑)
今日は午後から臨時休業で爆睡です。こうでもしないと今年は乗り切れないなあ。
呑むより、食べるより、寝るに尽きる。

暦ご注文の皆様、ちょい待っててね。なんとか月末までには送りますからね〜。
もし、これをご覧になって「欲しいなあ」という方いらっしゃったら早くご連絡を。
注文数のみ最後の制作に入ります。
よろしく〜。
posted by ハレハレ本舗 at 20:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 楮栽培復活事業

2011年11月08日

今年もやってきました楮収穫祭

3度目の収穫作業です。今年は12/18(日)です。朝9時には一回目の蒸し上がり。そして・・餅投げします!

この若山楮のことが始まって4年目。その前年にたった2人で既に始めたので5年目です。
最初の年はホントにもう収穫できて感無量でした。
http://blog.hale-hale.com/archives/200912-1.html

2年目は写真もろくにないくらい走り回っていた。
今、美濃和紙で修行中の青年が紙漉に入る前に楮のことを知りたいと来てくれたのも、みんなには有難かったし
「こんな人が居るんだ」という驚きでもあった。
この青年はほんとに寡黙に下働きに徹していて、おっちゃん達もびっくりだったなあ。
見ていてこの青年は間違いなく次の紙漉を担っていくだろうなと思ったもんです。

昨年は京都の黒谷で学んでるずっこけ青年が来たけど、抜けてても愛嬌なのか、やはり皆に可愛がってもらいました。

たまたま、バイクでお遍路してる北海道の青年がはまって野宿で(雪やったんよ)最後の片付けまでやっちゃったりと・・・

インド帰りのハレハレ本舗何故か通年ただ働きに来てるおなごとか・・・やはり通年ただ働きの元祖居候のおなごは隣村で赤ちゃん産んだし・・・
協議会の方々にもそれぞれいろんなドラマがあった1年だったと思います。
この事業を仕事としてではなく、想いから手を挙げてずっと支えてきてくれた役場の彼女はめでたくご結婚。初年度の担当の女性は赤ちゃん産まれたとかおめでたい話しも沢山ありました。

いろんなドラマを孕んで、それぞれの想いを重ねての大所帯の若山楮の収穫です。
まっさらな所からの5年ってすごいですね。

50年ぶりの復活なので、まずはみんなに知って貰う、長老の話を聞きながら伝統作業を身体で覚えて貰う。
おまけにこの地域ではやったことのない「へぐり」という誰でもできるわけではない、むしろ熟練が必要な職人仕事をやらせることを目論んだので・・・・

楮を蒸して皮を剥ぐことは誰にでもできます。
小学生に体験という餌で釣って(笑)剥がせる位、わはは。いやー馬鹿に出来ないです。
子供の方が神妙な手つきでそれはもう丁寧にやります。大人の方が言うこと聞かないですから・・・
なので毎年6年生35名は貴重な手なのです。山のような楮をあっという間に剥ぎます。
今年は5年生も入るので・・ぐふふ倍の手!!
高校生や、地元の自立塾も巻き込むので、蒸し剥ぎは完璧やなあ〜とほくそ笑んでおります。

問題は・・・・年明けてのこの黒い皮を真っ白な「本晒し」にすること。
これも3回目。
これを経験した協議会のみんなは、蒸し剥ぎの段階から頭が回るようになってくれました。
剥ぎ方によって後々に響くこと、束ね方、干し方でも違ってくることを学んでくれており、いっちょまえな言葉が飛び交うように。

ずっと17年間、孤独にやって来た作業の共通の会話が出来る人が少なくとも15人位できた。
私にとっては大きな宝物です。

一人でやるのと、素人である大勢とやるのでは、モチベーションも段取りも根本から違ってくるので
この5年は私にとっても試練の連続でした。
疲れたとか言っちゃダメ。皆が疲れてくる頃はお茶くみ!イベントにもしてるので踊れ!と言われたら踊るです。

今日は自分の楮でこの2月からの試しのだめ押しの作業してました。
みんなの癖、できるキャパ、勿論、人件費やらのことも含めての総ざらいしてました。
やっと今年のできうる限界点の合意が自分の中で決まった(理想は高いですが、それを押しつけることはできないから)
毎年、ハードルのバー上げです(笑)
自分的には却下したこともあるが、それで今年はやれると。

一方夜はこの小学校3校が今年から各学校毎に漉き枠を作ったので校章の透かしと格闘してる。
教育委員会に働きかけて高い道具作ったのです、校長先生達や先生、PTAの皆様、凄い。
私は一切営業してませんから(笑)

実は5年前紙漉辞めようかという事があって、その10日後にこのことが始まったんです。
そして、最初の年はもう泣きっ面に蜂でしたが、役場勢の強いプッシュもあってここまで来た。
そしてこんな素人のやることに、関心を持ち、サポートしてくださる世界紙文化支援財団の方々の存在が無かったら無理だっただろうと思います。

5年間、収穫すること、本晒しを作ることで、高齢化の波で失われていく、栽培農家と紙漉の中間地点を繋ぐ職人を作っていくことに
無我夢中で実際、地域に拡げるどころではなかった私です。
しかし、有難いことに関心を持つ人は確実に増えてきてる。
そういう繋がりを豆にお世話するのが苦手な私ですが、今年は「現場」もだいぶ大丈夫になってきたし、少し動かないといけないなあと思っています。
50年ぶりに復活させた皆も平均70代。それを20代、30代に繋げないと、またあっという間に存続の危機迎えちゃう(笑)

小学生達に「この楮は日本一です。みんなが大人になって生まれ育ったこのお宝の山や川や海で仕事ができるように私達も頑張ります。たとえ都会へ出ても帰ってきたとき、いや都会に居ても自慢できる場所にしていきたいです」毎回そう話しています。
小さい子達の目が一瞬光るんですね・・・。親や大人達からは「田舎ではだめだ」っていわれてるからでしょうか?
都会育ちで憧れて来た私の気持ちのちょっとでも、やがて大人になったとき思い出してくれたらと思うのです。
posted by ハレハレ本舗 at 20:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 楮栽培復活事業

2011年10月08日

近代所作と原始な所作

今日は朝練で、おばちゃんが「あんた紙漉なんだってねえ。偉いねえ」と言ってきた。偉いのか?紙漉って?
今日は若山楮でお世話になってる取り組みの「柚」の草刈りの日。
昨夜は深酒もせず、野菜たんまりの早い晩ご飯、しっかり準備して軽くヨガもして、寝た。
以前ならなし崩しに二日酔いでもこなせたが、もう無理。
おかげで、絶好調。


朝からやってる柚畑へ到着したのは11時。
一面見事な雑草!!
しかも、2〜3種類の雑草。楮畑と違ってやりやすいなあとやる気満々で___。

が見ると不思議な刈り方してる。淵だけなんよ・・・。
聞けば、除草剤が行き渡らない淵だけ刈ってくれと・・・。
「え?1日あればこれ全部借り倒せますが?」

「いやーこの間株周りを刈るだけで半日かかってしまって、全部やったら1日かかるから」
絶句・・・・。楮組はそれを通念やってきてる、やらせてる。
が・・・農家の常識はこれだったんだね。
午前中、除草剤散布の中、楮組の会長と私と御年88歳のおっちゃんが丁寧に草刈り。
中堅が除草剤。


その内の今春から参加してる若手の(笑)おっちゃんが、竈周りの草刈りに来た。
この温泉の敷地の斜面は実は楮がたんまりで・・・と・・・
なんで、若山楮復活になったかの経緯を話した。
取り組みが始まる前の春・・・。

今は転居してしまった、この地域を盛り上げたい熱い想いのおっちゃんと
当時、天国から真っ逆さまの私で温泉の斜面を開墾したのよと。
「え?ここを2人で?」
そう・・・他にも後日談のドラマはあるが、もう長すぎて(笑)
協議会の人はその斜面に関しては完全にスルーしてるので、私も言わずの4年間。

午前中、除草剤散布してたが、午後丁寧に草刈りして燃やしてる私と会長と一緒にやって(とても丁寧な仕事をなさると判った)
「ひょっとして、あれも楮か?これもか?」って。
なので、其処に立って「ぐるり360度、全部楮!」と言うと・・・



「この斜面、俺が楮畑にしたろ〜!わざわざ畑作るなんてアホやん。俺やるわ!」
「ほんま〜?楮部会は除草剤やらんけど?」


ということで、4年前の企みがひょんなことから実現しそう。
石の上にも三年ってよう言ったもんだよね。

ちなみに、力や気力が低空なのを会長には見破られた。
「うひゃひゃ!おまん、歳だよ歳!!」一際大きい声で言わなくてもいいのにさ。

女性の皆様。
40代はまさに黄金時代です。
50代、策が必要、受け入れることも必要、可愛いばあちゃんへの道のりですが・・・なめたらいかんぜよの心意気も必要。

「これが(私のこと)・・・除草剤は化学肥料はどうしったって使おうとしないので仕方なくやってきてますが」とは会長の言葉。
「それでいいんです!」とは買って下さる方の言葉。
そして、実際そういう作業に関わると気持ち好いみたいです。
当たり前だよね。
原始的かもしれないが、それがもう当然のことなんだ。
問題は「当然」のことでは済まない事がこれからやってくる。
人の五感、昔の作法でやればできうる自然界が確実にそうでは済まない事態になっていく。
高齢化、後継者不足がどうにか細々とながら維持できても・・・
次に来る波は想定外、初めてのことに向かわないといけないからだ。
今日草刈りを一緒にやっていて、世代間の温度を感じた。

会長が「まあ、それでも俺らが歳寄ってできなくなっていく。次があるんかのう」って。
それを一回り下の世代が「おう、やろうじゃん」って。
そして・・もう一回り下の世代の私は少し懐疑的になってしまった。
私が会長の歳になったとき、世界はどうなってるんだろうと。

何はともあれ、ニューフェースを原始時代の楮組へゲットしたもんね。
彼をワクワクさせるようなモチベーションへ雪崩れ込もう。
和紙の原料と言うことだけでは無い。
「原発のウソ」の小出先生が仰るように、今一度エネルギーの使い方を考える時期に来てる。それは農業の世界でも言えるのではないか?
少ない労働力で沢山の収益を上げるための機械、薬品でどっぷり借金、もしくは「お金の帳尻合わせること」に頭使うより。
身体使おうよ。
88歳のおんちゃんの草の刈り方は見事。そういうことができるのが人。
そこを学ばないと、もう戻れなくなってきてる。
若山楮は品種的に素晴らしい、だが、それをお世話する人の「意識」あってのことと思う。拡張できず、終わるかも知れない。
だが、作業を通じて感じて欲しいと思うのだ。
私は百姓ではないので、野菜や米では太刀打ちできない。
たかだが、10年くらいの都会から来た何も知らない門外漢である。
体力も無い。知識も無い。もっと儲かるやり方あるだろうな・・・と思う。
ごめんよ、若山楮という優れた品種をダメにするかもしれないとも思う。
誰かもっと適切な人が居るとも思う。私なんぞに任せていてはダメだとも思う。
が・・・今のところ仕方ないのだ。

風前の灯火は消えない、消さない。

紙の原料は片手間でいい。
しかし、食べるお米野菜などの作物の合間にお世話する作物という位置づけで楮となると全体の循環に意識がいかないと無理なのである。
そんなアナログな世界をもう一度やれるかなあ・・・。
田んぼしながら山の斜面の楮のために草加ってその草が転がって田んぼに落ちて肥料になる。
楮は落陽するからそれも肥料になる。そんな悠長な循環を人が戻すことができるかな?
高知は平地が少ない。
そういう「斜面」の営みがダイレクトに「川」へ注ぎ込む。

そこに鰻が居たり、その河口にふのりやアオサが息づく。
ほんとに大事にしないといけないし、感謝しないといけないなあと毎度草刈りという作業を通して感じる。
今でこそ、機械になったが・・・これ手刈りだった時代を・・・・自分も14年前は手刈り、鎌1本。思うと貨幣世界は無理。

だけどね・・・凄いええ草刈り斜面用鎌を作ってる所がある。
練習したら、機械より痒い所に手が届きそうな感じがする。

試して見たいなあとふつふつと思うのである。
作物育てるのはお金はたいて薬や機械買う前に優れた手作りの道具をちゃんとメンテできてそれを使える身体と日頃の暮らし方に尽きるんだろうなあと改めて思う。

早寝早起き、なるべく菜食、適度な刺激(笑)
お金使わないと出来得ない身体のこととか(病院通い、スポーツ、食べる事への拘り、無茶な禁欲、健康への投資、生命保険等等)
お金を使うということ事態がもうおかしいのかもしれない・・・と地面見て草刈ってたり引き抜いてると(刈ると抜くことも凄い違う世界なんだよ)ちょっと腹が笑い出していた。


posted by ハレハレ本舗 at 20:59| Comment(0) | TrackBack(1) | 楮栽培復活事業

2011年10月05日

カウントダウン

月に一度の取り組みの定例会。
カレンダーめくって「あと3回じゃ!」

やっと猛々しい草刈りから解放された楮組。
一方、作業がうまく進んでない柚の除草に今月は応援出す余裕です。

高知県の中でこの幡多地域は楮の植生が他と違って良質な品種の「赤楮」一種のみが自生してる。
厳密に言うともう一種居ますが、それは限られたエリアのみで、混ざる事はないようです。
高知は楮が5種類あると言われる楮天国。
紙の種類に応じてよりどりみどりなんですが・・・
幡多の赤楮を東へ持って行っても交配するか、土地的に合わず難しいとも聞きます。

私はここの楮しか知らないので、比較もできないですが、作っていて紙にして好きだからこれで良いし
まずはこの恩恵を一生懸命「維持」することだと思っています。

いろんな産地の紙をお使い下さって、「気に入った」とか「墨付きが一番良かった」とか言って下さる方が居られるからには
出番はあると信じてます。

その若山楮、収穫までのラストスパートに入りました。
もう汗だくの草刈りや芽かきは終わり、あとは猪や鹿の被害に目を配り、葉っぱが順調に紅葉して落ちるのを待つだけ。
取り組みでやってる地域協議会は地元の食の分野も勢い出てきたし、5年後を想定した柚栽培の手入れもあり
そちらへしばし応援になります。
そして全ての作業が終わって一気に楮の収穫作業へ雪崩れ込む。
合間には次の春に移植する開墾作業もやっていきます。
殆どジャングルを切り開いていく。。。

こういう開墾とかその場所の性格を見抜くとかそういうことは経験しないと、各自が腹に収まらないと進まない。
私が17年格闘してきたことを伝えても(除草剤なし、掘り起こししない、ビニールマルチなんか邪道!)やってみないと気が済まないのが百姓だなって。(笑)
で、ならやってみればとお付き合いしてきて、ことごとく「あかんわ」とやっとなった5年目です。
今春、機械入れて畝立てしたところは春に雨がなくてほぼ全滅。
掘り起こしもせず、そのまんまの地べたへ移植したのは6割強根付くのを見て・・「畝を高くするとあかんね」と。
失敗は成功の母ですなあ(笑)
山に自生してる楮を見れば判るやん、あはは。

そんなこんなでの50年ぶりの楮復活事業、最終年度。
やはり80代と一番馬が合った。
あの手この手の70代、機械や農薬当たり前の60代の男性陣には手こずってます。
お母ちゃん達はオーライ、どんな世代だろうとOKです。これが5年やってきた手応えですね。
ほんとは、もっとどっぷりと若山に首まで浸かれば早かったのかもしれない。
あっという間の5年でした。

そして正念場はこれからです。

いろいろと思うことはありますが
まずは今年の最高級の原料を作る。
収穫から後は文字道理「原料職人」の働きに全てかかってるのです。
どんなに汗だくな農作業がほとんどでも、このあとの2ヶ月の「職人」仕事が無ければ和紙の原料は産まれない。

使ってくれた紙漉さんから厳しい指摘も来ています。
幻の若山楮の復活は職人意識にかかってるなあと。


今日の会議でヒートしたのは楮ではなく・・・・
開墾して猪にやられっぱなしの畑に林立してる「コンニャク」
高知では楮の間にコンニャクを植えるのが昔のやり方。
もうコンニャクのことで本日は終わった(笑)
なんとか移植して楮畑にコンニャクを!でした。

そういう考え方が芽吹いてる。嬉しいなあ。自分一人の楮畑では妄想しても手が回らない。
今時、そういう混植してる楮畑って無いでしょうね。
5年前話しが来たときはコンニャクや小豆との共生を考えていたのですが、いかんせんモチベーションが低くて無理と思ってた。

やっぱり、高知はええ線持ってるなあと思います。
ただし!無理強いしたり、やらせが通用しない。人が自発的に盛り上がるのを待つ時間とお付き合いなのです。
根気よく、タイミング間違えず・・・
楮栽培が50年ぶりなら人間の感覚も50年前にフィードバック。
急がば回れなんだとつくづく思いました。が、いかんせん高齢者ばかり、どのみち復活してもまた瀬戸際は必ず来ます。
あと5年もすれば皆顎が出始める。
ここからはほんとに価値観を共有できる関係を「作って」いかないと淘汰されるものは淘汰されていく。
和紙なんか食えないし、無くても構わない・・・のならそれもありかもしれない。
どういう選択をしていくのか?
それは漁師が魚のことだけ、百姓がお米のことだけでの目線では無理なんだと気がつくことにかかっていると感じます。
今回、コンニャクのことに気がついた。
気がつかせてくれたと思う。
そういう循環してる「生命」の中での和紙ということに私自身もびっくりしたわけです。
本で知ってたことが実際目の前で展開してるので(笑)

待ってたわけではないけど、見たかった世界。
本で知ってるからやりましょうと促しても多分やらないだろうに、向こうから波が来た感じ。
来たらヒートしちゃって大変(笑)あっちへ行くかこっちへ行くかと大騒ぎ。ここでやらないで何時やる?みたいな(笑)
なんか波乗りに似てるかも〜
posted by ハレハレ本舗 at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 楮栽培復活事業

2011年01月30日

若山楮完了

雪がうっすらと積もり始めました。終わってよかったよ、ホント。
IMGP0439.JPG


最後の晒し場はがっつり凍っていて、半端無かったです。
おばちゃんと2人で引き上げて乾燥台へ並べてから、おばちゃんが「これ食べなさいよ」とおこわと漬け物を詰めて持ってきてくれてました。
今回、ホントにいろいろと美味しい差し入れに涙することも多かった。
おばちゃん達からするとこんな私でも「子供」にかわらんのですね、有り難い。


さて10日かかったへぐりの最後の選別が終わり見事な体裁に仕上がりました。
IMGP0440.JPG


乾燥の仕方を変えて正解。
幅の太いのも丸まることなくしっかりと拡がっていますし、良く日が当たって真っ白です。
こういうふうに俵みたいに仕上げたかったのです、憧れの姿になって大満足。
選別で最後にもう一度、やけや傷を細かくチェックして取り除いたのですが・・・・ほんとに少ないです。
自信を持って出荷できます。


そして、この日予報は雪でしたが快晴になった。
卒業証書の最後の学校の25名が寒風の中漉きました。いや〜もうお手々真っ赤か。中には震えてる子も。
私は夕方まで殆どご飯も食べずに、1日中お外。。。。
完全に冷え切ったです。やはり来年は屋内でやりたいなあ、もう。

片付けている間にいよいよ待ちに待った新年会のご馳走作りが進みます。
IMGP0443.JPG


写真取り忘れたけど、豪勢な刺身とタタキも!!!
やりきった皆の団結力は強くなったなあ。
そして、2人のおばちゃんが代わる代わるお米をそっと持たせてくれたり、もうひとりのおばちゃんからは見事な白菜も。
最長老のじっちゃんは挨拶で「この子は偉い」と褒めてくれて、ずっと呑みながら手を握って離さない。
なんだかじ〜〜んと来ました。
今年初めて参加したおばちゃんの旦那も会が終わってから来てくれて、盛り上がる。
今朝はお陰様で泊まり込んでたんだけど、起き上がれなかった。ほっとしたのと寒さにやられて脱力してしまっt。

紙漉道具を2往復して持ち帰るのに、雪は降ってくるわで茫然自失。子供達が漉いた紙床はがっつり凍ってるし。
もう1回ストーブの前で毛布にくるまってると「中嶋さん、おっちゃんが軽トラで一緒に運んでくれるって、大丈夫だよ」ってHちゃん。

有り難いかな、全部運んでくれました!
昨年の刈り取りから1っかげつと10日の若山作業終了。
今日はもう、脱力状態、軟体動物になってました。その最中雪の中で友人が私の楮畑の雑木伐採をやってくれています。

鼻水も止まったし、風邪引いたわけではないようなので、明日からは復活できそう。
さてさて自分の仕事もどんどん片付けないと春になっちゃう!


posted by ハレハレ本舗 at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 楮栽培復活事業

2011年01月24日

終了のおじぎ

10日間続いた楮の外皮を剥ぐ「へぐり」が終わりました。
午前中、先日の子供達の漉いた卒業証書を板干ししてて、薄曇りでなかなか乾かないので苛ついて・・・
車すっ飛ばして、運転中にこのへぐりの作業の効率化を考えてて。。アクセル踏みっぱなしで・・・。
見事、スピード違反でとっつかまった!15000円は痛いなあ。。。。

が、作業場へ行くともう終わるというところ。
すっ飛ばして正解でしたから、もうええわ。おばちゃん達は口々にそりゃーないで!と怒ったけど(笑)

お日様の出具合で水中で晒される楮の案配もみんな判ってきました。

紙漉が居ない地域でずっと独りでやってきた。
山でターザンみたいに採った7年間。冗談みたいにはえそろった畑を得ての11年間。
紙漉さんには「栽培と紙漉なんて無理。どっちかにしろ!!」って怒られた。
私に紙漉を教えてくれた爺ちゃんは80過ぎてから私の目に余るやり方を見て「楮畑やるかのう?婆さん」って言った。

何が良くて正解で大丈夫なのか皆目判らないまま、恵まれてるこの地域でやれることを目先で走ってきただけです。
それが、若山の話しが転がり込んで。地元の人には「お前だけよ、こんなこっただれっちゃやりとうない。お前だけだがよ」って。
それが、今日晒し場の水の中のの楮引き上げてて「おまん、これもう少し晒した方がええがないか?」っておっちゃん。。。。
仕事の共通言語を会話出来る人が少なくとも15人は出来たんですね。
子供達の卒業証書の今年はしっかり「へぐる」ことをやらせたら、83歳のじいちゃんが子供達に「包丁のくずはマメに取りなさい」と
身を乗り出して、子供達のひとつひとつに、コツを教える。
子供達は真剣な顔つきで聞いて、聞いたとおりにやるんです。
その場面見て泣きそうになりました。


プールを開放してくれて水道代を教育委員会に掛け合ってOK出させてくれた校長先生。
それが連日の寒波で水道管破裂。一晩中水が漏れてしまった。
「水はもう換えないでやります、ごめんなさい」と謝った私ですが・・晒しは清い水が命と言ってたのをメンバーは聞いてた・・・
私がどうにも行けない2日間の時・・・・学校の遠い蛇口からホース引いて先生達とメンバーが水を入れ替えた・・・。
これ凄いエネルギーです。

やったことのない作業なので、私の言うことを一字一句守ってやるんです。
もうその姿には頭が下がるし、責任は重大。
今年は頑張って紙を売って、いろんな産地を廻らないとあかんとも思いました。
みんなの努力を無駄にしない、もっと効率をあげることを考えないといかんと。
そんなこと考えてやってたら「でもよ、ここに塩素とかEMとかこれには(楮)いかんぜよ、お天気に人の方が合わせないとあかん仕事やな」っておっちゃん。
太い楮に手こずったみんなは「化学肥料入れたら太くなるんなら・・入れたらあかん。春の剪定は6本位に仕立てよう」って。
もう充分判ってくれた。
えらい人件費になったが、これも役場勢が「大丈夫!」って。

「へぐり」をやって初めて栽培農家と紙漉の橋が渡る。

おまけにへぐってるみんなの外で漉いてる子供達が「やけ」を見つけて「これ入ったら白くなくなる」って・・・・指先で取る。
沢山工程がある紙漉の全てが大事であることを、感じ取り、大事にしていく。
80代と10代が同じ場所に居て「何か」に耳をそばだてる。
もしかしたら、もうこの光景はあと5年で終わりかもしれない。
そのリアルな刹那的な地点に居合わせて頂けるだけで、とんでもない宝を味わってるのかもしれない。


作業場を綺麗に掃除して撤収したあと、83歳の父ちゃんの奥さん(多分70代後半、女性に年齢聞くのはばかってます)が
「ありがとうございました。お疲れ様、ありがとうね」って深々とお辞儀されました、
もう土下座したくなりました。
ほんとに見事な仕事ぶりだし、お互いを思いやる波動の高さ。
日本にはまだ残ってるんですね。面倒でも話しが合わなくても一緒に作業してみて下さい。
この世代の人はおかしくなってしまう前の日本の心をちゃんと持ってる。
あと数年です、とやかく言わず、一緒にやれる「場」を作らないとあかん。

おまけですが70から下は・・・お金にやれれてる・・・ここが一番しんどい世代だなとも思ったですね。
が・・・心ある人は世代に関係なく繋がっていきますから!
posted by ハレハレ本舗 at 21:03| Comment(4) | TrackBack(0) | 楮栽培復活事業

2011年01月22日

皿鉢atへぐり

14日から「へぐり」という楮を白皮にする作業に入ってる協議会です。
楮栽培の危機感から取り組み始めて、昨年あたりから高知でもあちこちで「楮栽培」は始まり出した。
問題はこれを紙にするための「表皮及び甘皮を剥ぐ職人さんがもう80代」ということ。
若山も50年前は黒のまま出荷。原料商の方がお抱えの職人さんに「へぐり」をさせて紙漉の元へ。
これがもうあと数年もしたら居なくなる。居なくなったら紙漉がへぐるしかない。
なので・・・一歩先行く若山はこれをやってもらって職人さん作るという荒唐無稽な私の独断で昨年から素人老人集団にやって頂いてます。
その辺りも今年は更にドラマで・・・ストーリー満載ですが、それは後ほど。


さて、今日は2校の6年生10人(うち1校は来年は卒業生3人だよ)
卒業証書を漉きました。
これについては後ほどちゃんとHPのブログに書きます。 来週もう1校残ってるので。

さて「サバ寿司」の本日。

今年初めて参加したおばちゃんの得意がサバ寿司。
へぐりを初めてやったんですが・・・覚えが早く、道具ややり方を自分なりにどんどんアレンジしていく。おそらく・・・70代後半。
朝8時前にはきっちり入って殆ど休みなく夕方5時までやってる。
手だって痛い。メンバーの人差し指の付け根はタコできてきてます。
朝8時に入るには洗濯や掃除やご飯やらを(人によっては旦那や子供の弁当)消化して入ってくる。 もっと凄いのは畑作業もやってから。
だもんで・・・暗くなって帰ったらヘトヘトのはずです。
実際、私は通いに40分かかるしで、晩ご飯は限りなくええ加減になります。
おまけに、今時私同様薪で風呂わかしてる家が多いし、夫婦で来てるところもあるし・・・。
明日はサバ寿司だから弁当持ってくるなよ!って・・・



昼・・・・
机の上にはいわゆる皿鉢がど〜〜〜〜ん。
サバ寿司の他に卵や昆布巻きなどがちゃ〜〜〜んと盛りつけられて。
これって冠婚葬祭の時のバージョン。結婚式とか葬式の時のショートバージョン。12〜3人分の量。想像つくかな。。。
おまけに手作りキムチや白菜漬けと・・・・ぬあ〜〜んと初めて食べました。
兎の時雨煮。
もう仕事ほっぽり出してビール呑みたかったですわ。

サバ寿司のサバが昨日メンバーの漁港からいきなり来たのが発端で。
ならば、名人の寿司を食べたいとなったのがなれそめ。
小さい漁港です。そのうちの一人が言いました。
「これいわゆるゴマサバね。足摺へ行くと有名な「清水サバ」になるけんど同じサバね!ええの採れたから持ってきた。同じよ、おなじ。あっちの名前で有名だけどこのサバちゃん同じなの〜」
う〜ん、プライドあるだけあってぶりぶりでした。食わせたい一心でかあちゃんがずっと通ってる作業場に父ちゃん届けに。

分厚くて脂のってる上に名人にかかってその締め具合というか・・・
絶品やなあ。
で、兎も・・・・美味かったです。兎・・・白菜とかを食べちゃうのでちょい捕獲した。。訳ありですねん。

出された自慢の物は私絶対食べる。
ネパールでもねずみ食ったし、ハワイではワニ食った。カエルも食わされたし・・・。西土佐の友人とこではワナに掛かった村で言う「害獣」の鹿のテリーヌも。狸のバーベキューは・・・・食ったけどあたった。友人には鳥や猪をちゃんと捌ける都会からの移住者も何人かいます、普段は買ってまで肉は食べないけど、命を頂くことを知ってる人が多い。
昔の人はこうやって生活してきたんだなという食卓の光景でした。
だから今日のニュースの鳥インフルの話し・・・やっぱりなんかおかしいなあと。

どれもグルメではなく、ネイティブにそこで暮らす生活の中で客人にもてなすという物。毎日兎やワニやネズミ食べてるわけではない。
むしろ、普段はほんとに質素。

おばちゃんは一緒に仕事するのが嬉しくて楽しくて、昨日帰ってからこれを仕込んだのです、相当大変やったと思う。
しかも、お金払おうとすると泣きそうな顔して「要らん!」って。

この世代がつくる郷土料理。
次の世代が作るとは思えない・・・実際大型スーパーができて総菜が買える時代になってこういう田舎の物がどんどん無くなっていきます。 私化学調味料が敏感になってて同じ郷土料理でも後から沢山水呑まないと辛いことが実は多い。
が、、、このおばちゃんのは一切使ってない。身体がすごい楽〜。これは郷土料理の中でもほんとは珍しいこと。
今度台所にお邪魔したいって思った数少ない人。
若山の現場はもうメチャクチャ過疎で、店もないおいてけぼりエリアなんだけど・・・こういうのが残ってる。これを自慢できるじゃないのって寿司食べて思ったです。

これが残っていかないのか・・・若い人は見向きもしなくなるのがちょっと悲しい気持ちになりながら頂きました。

50年前の伝統作業を復活させたら、食べる物も復活してきた。

いや〜このサバ寿司の頭の部分を炭で焼いて食べるのが・・・これまたねえ。
幼少の頃からしめ鯖だけは五月蠅い私も納得。それは・・・そういうサバが居るから。

今日は見事に天気も晴れで暖かでしたが
ご飯もハレの席で、心がハートがじ〜んと温もりました。
みんな大変やけど、喜んでるのが判る。
この部分が復活しないと、良き時代の仕事は復活しない。
入れ物作った、金引っ張っただけでは無理なんだと・・・・。
一人一人の心意気でっせ。ぴーんとおったったサバの尻尾に何やら諭されました。
posted by ハレハレ本舗 at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 楮栽培復活事業

2010年12月23日

若山楮蒸し剥ぎ終了。

終わりました〜。
大豊作の極上品です。
昨年より更に収量は倍になり、太くなり、柔らかい皮になっています。
みんなの剥ぐスピードも剥ぎ方も文句なし。
50年ぶりの昨年は作業の全体図が見えてなかったので、いろいろとみんな苦労した。
なんせ、初心者ばかりですから。経験者は1人だけ。

しかし、今年は全く違いましたね。
やはり地域をなんとかしたいと持ち出しでやってきた協議会の方々の動きは能動的です。
全体図が判ったから、草刈りや芽欠きも丁寧でした。
更に言うなら全員がこの後のへぐりも昨年やってるので、それが年間の作業にはっきりと出てきます。
つまり極上なのは手入れが行き届いてるからなのです。
しかも無肥料です。

今年は半袖でも良いくらい後半は温かく、風もなかった。

私も朝5時前に竈の火入れを3日間こなしたおかげで、この竈の癖や羽釜の水の減り方がやっと掴めました。
朝一番は4時間、2回目からは2時間。
それをきっちり炊きあげる火力も判った。
そして今年は地域の青年に一緒に朝一から入って貰い、竈の番人の練習で来年からは任せられるように!!!
自分の工房の小さい竈とは火の管理も全然違うので、プレッシャー大きかったなあ(笑)

さて、ハレハレ本舗と合同蒸し剥ぎ、原木にして2トンを3日間でやって、そのあとの干し作業。
収量の翌日はどしゃぶりとなり、ちょいばたつきましたが
身体は刈り取り4日間やらでへたばってましたので、丁度ええ案配で休めた〜。
昨日から、若山とハレハレ本舗と2箇所で乾燥作業です。
家はこんな状態。
IMGP0429.JPG




一人で段取りして毎年2人ほどボランティアしてもらいながらの私の今までのやり方とは昨年から大幅に変更。

一気に刈り取り、一気に剥いで、一気に干し上げ。
早く終わる分、かなりハードです(笑)
この写真撮ってさっきあらかた乾いた。
明日は若山を取り込み作業。

そして・・・・ハレハレ本舗の楮がまだ少し畑に残ってしまっています。
これを年内に刈り取り、剥いで仕上げる。終わるかなあ・・・とほほ。

若山も私の幡多楮も同じ品種。
手と愛情注げば極上品です。

しかも来年早々には更に畑拡張!
あちこちから「家の山や畑のも刈ってくれ〜」との声。
佐賀中が楮だらけなことにみんなが気がつき出しました。それが和紙になる、安いけど現金になる。
ちょっと色めきだってきましたねえ・・・むふふ。目論見は着々と進んでます。

楮が売れるということはその次の紙漉がいよいよ頑張らねばなりません。
そしてそれを売る方々の力が必要です。
行き着くところは買って下さるお客様。

是非、「国産楮」の「手漉き和紙」をもっと使って下さい。
沢山使ってくれれば、もっと手の届く本物を私達も作れるのです。


唯一の経験者80代のおいちゃんに加えて今年は90代のおいちゃんが参加。
2人並んで話ししながらやってる姿は先輩後輩。
絵になる手さばき・・・・で、わたし「オールドボーイズ」と命名!!
場のテンションあげてくれて、よく働く「シスターズ」もいます。
仲良く、何するにも一緒にいるのって見てるだけで微笑ましいものです。

さて、もう頭は来年です。


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2010年12月11日

若山楮の収穫

まず、カメラ忘れました。持って行っても撮る暇なかったし・・・

若山楮は一昨年から取り組んで、昨年始めて収穫しました。
畑ではないのです。
河原や、耕作放棄地に勝手に群生してるのを伐って出たのを収穫です。
故に草刈りの労働は半端ではない。
急斜面や細い道を延々と歩くような所ばかりです。
あっちこっちに点在してる場所、はっきりした面積は出ませんが多分1反強。

今年もそこから刈り始めました。
みんな「おお!今年の方が太い!長い!」と騒いでおります。
鹿にやられた一区画があったので、正確な量は比較できないけど(ついでに、シメジの堆肥を捨てられたり、野焼きでボツになった人害もあった〜)それでも昨年の1,5倍になってた。

今年は統合で空いた保育園が拠点になったので、なんと昼は婦人部がご飯の炊き出し付きです。
炊き込みご飯と具だくさんの豚汁と、山のような釜揚げしらすと小松菜のおひたし。珈琲まで。
昨年の買ってきた弁当で乗りきるというのとは全然違う。
もう五月蠅いくらい賑やかで、いろんな話しが飛び交う。これをして活性というのだなあ。

午後、何やらみんな各自、ばらけた。
3つか4つのグループに勝手にどこかへ。
一方で地所を貸してくれたおっちゃんの場所の開墾をシルバー人材の2人がやってくれてます。
私はひとまず、そこへ行き、自生してる楮を刈り取り始める。
シルバーのおっちゃん、頼まれた所をさっさとやって「あそこにも生えてるで採ろう」と道ばたの楮を刈り出す。
見る見る凄い量に。

蒸し剥ぎは来週なので、ひとまず全部川に浸けます。
これがこの幡多地域のやりかた。私はそうとは知らず自分の楮もこのやり方で11年やって来た。
昔の写真にはこの川に浸けた大量の楮の風景があって・・・同じやん!って感動したもんです。

さてその川に行くと散らばってたグループが戻ってきてた。おのおのの軽トラにも満載の楮。
「どこで採ってきたんや??」
みんなこの1年の間に目星をつけてたらしく、あそこも、ここも、と・・・山狩りしてきたのだ。

ずっと言ってきた。佐賀はそこいら中楮だらけで、あえて畑になんかしなくても、そのまんまを手入れするだけで取り放題なんよって。
ただし、斜面だったり、藪だったりするから最初はターザン状態になる覚悟がいる。

私は畑を得る前は7年間山狩りしてきた。

今日、みんなは山狩りしちゃったのだ。
そして各自が自慢のポイントを見つけて、来年はあそこだ、ここだ!と・・・
正直、畑を整備しないとやる気にならないだろうと思ってた。
それが、一斉にみんなターザンになった本日。
これには驚いたし、すごいサプライズを貰ったなと。

佐賀はね、畑なんか作らなくてもいいの。
佐賀中が楮畑なの。
それを、今日のみんなは証明しちゃった。
ネイティブやなあ、佐賀。
感覚はほとんど山菜採りなんですよ。
私と同じ感覚になってるのが嬉しかった。おそらく車で走ってるときに常に楮を捜す眼でいるということ。
しかも綺麗な楮を見つけてきてる。
芽かきとか、草刈りしなくても真っ直ぐに綺麗に生えてるのを伐りだしてる。
これは、逆に言うと年間の作業の大変さを知ったから。
何気に採ったところの周囲とかさりげなく綺麗にしてるところも、「来年はあそこはもっと良いのが採れる」という気持ち。
そうやっていくと、佐賀の山は綺麗になり、人の手が自然と入る。
ジャングルのように荒れた地域が楮欲しさに、どんどん美しくなっていきます。

夜ごとの会議のたびにもうあかん、放り出そうかと思ったけど・・・
やっぱり、ここ面白いわ〜
町丸ごと楮畑の日もそう遠くないかも。

もう得意になって採ってきたので、昨年の倍以上です。
念のため釘刺したんですけどね・・・「ということは蒸し剥ぎも倍の日数かかるけどええんやね?」

「え?」と眼が点になってるか、聞いてない人多数。
まあ、ええか。採った以上全部剥ぐんですからね〜。
そして、これを全部「へぐる」頃はモチベーション落ちてるやろなあ・・・。
でも今日のみんなを見ててもう心配するの辞めました。
こんなに同じ感覚になる人が沢山いるんだから。
やはり楮の持つ「力」なんでしょうね。


いや〜、佐賀ならではの特徴出てきた。
「ターザン軍団」です。
昔、紙漉の知人に「お前女ターザン」じゃと言われたのが復活しちゃったわ。

来年は間違いなく、「ここも採ってくれ、あそこも採ってくれ」になる。
目論見は着々と成果を出していたようで。。昨日までの落ち込みはどこへやらでした。

いや〜でも畑の方が楽よ。
ターザン廃業したはずなのに・・・・
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2010年12月09日

I LOVE KOCHI

まず初めに内容とは全然関係ないですが、今日はジョンレノンが亡くなった日30年目です。
30年前、真夜中悲報を知った友人が酔って泣き崩れるのを川崎の美術学校の前の車道で正面に正座してひたすら泣くのを見守ってた。
寒い寒い夜で、確か間には一升瓶が鎮座してた。よくもまあ車に轢かれず無事だったもんです。その後の記憶はないのですが
30年経ってこうやって自分は生きてる・・・・。
あの時「全ては終わった」という友人の言葉。
あの時今の自分なんて想像もしてなかった。
あの時の友人は今どこで何をしてるのかな?生きてて欲しいけど・・・。

今日は楮蒸し剥ぎを控えた最終会議でした。
実は楮栽培は協議会で当初、反対の人が多く、唯一会長が「わしは、これ行けると思うで、まあ金にはならんかもしれんがやろうや」
私も「これに勝る客寄せはないですから騙されたと思ってやってみて下さい」
結局、楮に参加してきたのは会長と一番癖のある、でも熱いおっちゃんと、役場勢では先見の目を持つ3人だけでした。
あとは、農産物、特に柚栽培と食品加工という3本柱になりました。

昨年初めて楮を収穫し、50年ぶりに地元で蒸し剥ぎをして、バックドフューチャーしちゃった。
盛り上がって弾けて忘年会ではこの地域ではかつてなかった一本締めまで出て・・・・
年が明けて・・・・
大波はべた凪へ(笑)そして年間通じての作業はもうできれば逃げ出したい想い一杯、後ろ向き〜

そして今年もやってきました、収穫作業。
昨年はしっかりと成果を出すことに専念して、及び腰のみんなの尻叩き。
今年はその辺りは手綱を緩めて、初のイベント化へ専念してます。
映像作りました、フライヤー徹夜して作りました(かなり手直しされちゃったが)マーケット出店を強引に決めました。
役場勢も昨年みたいに及び腰どころか、どんどこやってくれています。
やりたい人がやれることを「やる」のに役場も地域も個人もないです。

今日役割分担や細かい「飯」のこととかになってきて
今年も朝4時半に火を入れることは私。誰も手を挙げないのよね・・・
まあ、歩いて数分の所に今年は泊まり込みなので、、、「こんな美味しい一番おもろいこと私でええの?」って隣の人に言いました。
実際昨年おもろかったんですよ、ほんと。
で、イベントの日の昼飯でも揉め始めたから、「私がカレーつくっちゃる。」

実際大所帯抱えてキャンプインのイベントを続けてきたので、こんなのちっちゃいのです。
イベント自体は全然オーライ。
ただ、今年は昨年極上のお墨付きもらったのを更にグレードアップさせることが正念場になってきます。

会長が「とにかく楮のことがありますので、あとは終わってからということで」と言うた。
みんなもニヤニヤしてます。
映像の彼が先週の大豊のイベントをカメラに収めてきてて、それを食い入るように見てるみんな。
同時進行で荒れ地開墾も自力となり、頭フル回転です。
そして、柚の方もなんだかんだとあったけど、ひとまず無農薬の方向へ動き出したし、楮の時に食部会も動き出してくれそうで。

高知では今年あちこちで楮の蒸し剥ぎがイベントになりだした。

金無い、腰重いエリアではあるけど、一番熱くておもろい可能性を秘めてるのが若山。
かみに関わる人だけでは収まらない高知ならではの展開を提供していきたいと企む私です。
やっと、みんなの顔がほころび、そわそわしだした。

I LOVE KOCHI なんじゃね。
この県民性好きだな〜。

30年前のあの日
そして今日は多くの人がジョンのメッセージを噛みしめてる日
「平和」「愛」
高知って結構近いところにいる感じがするのは私だけだろうか・・・。
posted by ハレハレ本舗 at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 楮栽培復活事業

2010年11月13日

楮の蒸し剥ぎイベントと映像

山間では所々が紅葉しています。
が・・・この海に近いところでは、紅葉は僅か。この時期だけは寒いところが羨ましいです。

さて、楮の収穫まで一ヶ月を切りました。
鹿の被害にもめげず、若山の楮は立派に育ちました。神様ありがとう!
自分の畑は更に手ひどい目にあってますが、それでも例年並みに伸びてくれました。
昨年、初めて収穫したみんなは「今年はもっとよう育ってるのう!」と喜んでます。
草刈りは月に二回だった昨年より楽になり月一で凌げました。
蒸し剥ぎの会場となる温泉もリニューアルオープンして露天風呂もできました。
これで、あの寒い作業も終わった後の温泉があるという心強さ!

フライヤーです。
若山楮2010フライヤー表のコピー.jpg
若山楮2010フライヤー裏のコピー.jpg















そして、昨年の蒸し剥ぎの様子と、お恥ずかしながらこの若山楮で漉くところが映像になりました。
撮影は地元の「砂浜美術館」
音楽は長年のお付き合いの須崎在住のミュージシャンでありアーティストのSHOちゃんのもうすぐ出るソロCDからのカリンバという楽器の音。
http://www.youtube.com/user/kuroshio101

昨年、遠方からもご参加頂きました。
今年は温泉に宿泊もできます。
「こぶしの里」http://www.kobushino-sato.jp/
地元の「海辺の日曜市」のマーケットの美味しいもん、オーガニックなごはん、クラフトマン達の出店もあります。
鰹のタタキ体験とかメニューも豊富な黒潮町です。
是非、ご参加下さい。


お問い合わせ先

佐賀北部協議会事務局(黒潮町役場 産業推進室 商工観光課) 0880−43−2113
ハレハレ本舗  nakajima@hale-hale.com


posted by ハレハレ本舗 at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 楮栽培復活事業